「この桜は残してあげて欲しい」
古い屋敷を購入され、取壊し新築を計画しているお施主さんがいる。屋敷内に樹齢80年の桜の古木があり、一昨年の台風で枝が折れたと前の家主さんにうかがった。
古屋を解体するにあたり、その桜の木を伐採するか残すか、相談を受けるが答えが見つからない。新築する建物に緩衝する枝は切る必要がある。当然、張り出した根も切らざるを得ない。それだけ痛めて果たして桜は持ち堪えてくれるだろうか。決心がつかず、樹木医さんに検査を依頼し判断を委ねることにした。
直径1.2m程ある幹を木槌で叩けばコツコツと乾いた音が鳴り、幹の半分は祠になっていることが分かった。樹木医さんの判断は、腐ったところを切り取り治療するよりも伐採を最小限にとどめ、根が張りやすいように土壌を柔らかくし、周りを直接踏まないようにすることだと言う。周りの植栽も出来ればそのままに環境を変えない方が良いとのこと。
桜をいえば思い浮かべるのは嫌な毛虫だ。前述の家主さんによれば、ぶら下がる毛虫と普通の毛虫と2種類いるらしい。殺虫剤のタイミングを間違えると大変だと聞く。
「そやけどなぁ、ここで80年も生きてきたもんを自分らの都合で伐ってしもてもええんやろか」しんみりとお施主さんが呟いた。
桜には自力で修復できる能力があるか、枝が折れた時に伐り方を間違えると修復できないとも。先の枝にも割れがあるが直前の枝が異常に太いのは枝を落とすまいと必死に支えた結果だそうだ。そう聞けばなおさらその健気さがいとおしい。
「やっぱり残しましょ」お施主さんがきっぱりと結論を下した。
人は誰でも大切にしていること・ものがある。解体時に有り勝ちなミスは価値観の違いが引き起こすことが多い。もうすっかり色褪せしたカーテンを捨ててしまったことがある。壊れた椅子、使い古した日除け帽など作業時に不用品と判断し、処分後に叱責を受けたものばかりだ。何が大切かはその人でなければ分からない。それぞれに繋いでおきたい想いがあった。
4月には、あの桜は川面をピンクに染め人々の目を楽しませているだろう。地域に和と潤いをもたらしているに違いない。何度も春を謳歌して欲しいと願う。
(「木族」2020年2月号より)