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山林を坪で買う不条理

朴訥の論

コロナの閉塞感がそうさせるのか、最近、里山や田舎暮らしをテーマにした映像がテレビでよく紹介されている。

 

「山を買いませんか」

 

山林を宅地の様に坪いくらで販売する。購入した人も宅地感覚で500坪という広い敷地に夢を託す。わずか50万円で手に入れたことに大満足し、仲間たちと木々を伐採しキャンプを楽しめる広さを確保する。ツリーハウスにバーベキューにと街で出来ない遊びを満喫する。コロナ禍を気にせず家族や仲間で楽しむには人里離れた山の中ということだろうか。

 

 

また、投資として立木の価値を判断し、一山持っておけば、木は年々成長し10年20年後には間違いなく大儲けが出来ると購買意欲をそそるが…。売買契約さえ成立すれば、何の問題もないのだろうか。

 

知る限りでは、誰の手も汚ささず素人にお金を産ませてくれるほど簡単なものではない。台風も来れば豪雪も降る、手入れを怠れば崩れもする。そう簡単にWin・Winにはしてくれない。簡単にお金を産んでくれるのであれば山林を手離す人などいない。

 

いま、山林の活用法としてレクリエーションに目が向けられているが、一抹の不安は残る。

 

今年2月に発生した栃木県の山林火災は自衛隊のヘリコプターによる放水を嘲笑うかのように燃え広がり、鎮火まで23日を費やし燃え続けた。原因は釈然としないがハイカーの不始末と判断しているようだ。

 

林野庁によると、日本での山火事の発生数は1200件程だという。その原因の多くは人災によるもので、たき火が最も多く、野焼きに続いて放火やタバコによるものだそうだ。山に防犯カメラが設置されているわけでもなく、余程の注意を払わない限り山林火災は増えていくだろう。

 

山林を歩くハイカーにその山が誰の所有かなど、知る由もない。さしたる罪悪感も無くマナーの悪さが山火事を引き起こしても特定することは難しい。

 

山林を楽しむのは大いに結構、であれば最後まで責任をもって管理して欲しいものだ。都合の良い時だけ可愛がり、飽きてしまえばあっさり捨てられる犬や猫のように、知らない間に産廃のゴミで埋め尽くされていた、なんてことにならないように願いたい。

 

命の見えない山林とて同じこと、そこに多くの命を宿していることを忘れないで欲しい。

 

(「木族」2021年4月号より)

心がそれたところに成功はなし

朴訥の論

最近、セミナーやメールでのお問い合わせで国産材住宅推進協会と建築士事務所民家との関係性を聞かれることもあり、気になりながらそのままになっている「民家」のホームページをリニューアルすることになった。

 

全てのスタッフが関わり、建築士事務所民家としてのこだわりを一つ一つ再検討し、違いがないか確認する作業が2ケ月に渡り続いた。年末の業務と重なり無理を押しての作業となったが、それぞれの立場でもう一度、NPO国産材住宅推進協会が担う使命と(株)民家に求められる役割を整理することで個々の理解も深まったようだ。

 

 

40年の長きにわたり営業しているが、ともすれば日常業務に追われ、今回ほどかみ砕いた話し合いを行っていない。当たり前に行ってきたことにも意味があることを共通認識することで、連帯感が生まれた。まだ完璧には至っていないが、冒頭の疑問をお持ちの方も含めて「民家」のHPにアクセス頂ければ嬉しい限りだ。

 

コロナ禍のあおりでどの企業においても働き方を考える必要に迫られ、イベントごとや会議なども自粛によりリモートに頼る機会が増えたようだ。会話の間がズレる様でどうも好きになれないが、苦手だ、とばかりも言っておれそうにない。

 

創業以来続けている「木造住宅講座」は、堺と協会事務所で各1回/月ずつ開講し、千百回を悠に超える。毎回参加者は5名前後と少数ではあるが、参加者の意気込みが感じられその熱意に圧倒されることもある。

 

嬉しいのは講座を受けた方が建築計画に臨んだ場合、その理解力に明らかにその成果が見えることだ。

先日、講座の希望者から会場までのアクセスにもコロナが心配で、ZOOMで講座を開いてほしいといわれた。丁度いい機会かもしれない。千百回とのなれば講座もマンネリ化し兼ねない、住まいづくりも年々変化し、特に省エネ化に拍車がかかる。

 

現在、若い建築士に講師を任せているが、参加者さんから分かりやすいと中々の評価を頂いている。テクノロジーを駆使し、若い感性でより楽しく分かりやすい講座を目指してほしいものだ。

 

民家を見直すことでスタッフのハートに何かが点火したかに感じた。何よりも自発的に取り組む姿勢が嬉しく、頼もしくもある。

 

「心がそれたところに成功はなし」というが、心に留めおきたいものだ。

 

(「木族」2021年2月号より)

住宅に100%はなし

朴訥の論

子どもの頃、年の瀬の気ぜわしい光景が好きだった。師走に入ればどの家庭も慌ただしく大掃除を始め、障子、襖の張り替えや畳の表替えにいそしみ、年末には地方から来る賃つき屋に餅つきを依頼し、鏡餅や小餅を皆で丸めたものだ。市場には人が溢れ返り魚や精肉屋の威勢のいい掛け声が響き亘る。隙間風が好き勝手に通る市営住宅ではあったが、門口には松飾が下がり、新年を迎える期待と心構えが感じられた。冬は寒いと観念していたのか一台の炬燵で寒さを吹き飛ばすほどの活力にあふれていた。

 

 

師走を目前にし、9月並みの気温が続けば、手が悴(かじか)むほどの冬に郷愁さえ覚える。

 

阪神淡路大震災から25年、耐震、耐熱は比較にならないほどの進化を遂げてきた。なお国の指針で高気密高断熱化は加速しとどまるところを知らない。ところがここにきてコロナウイルス流行の3波が懸念され、室内換気に目が向けられている。

 

シックハウス防止の観点から1時間に居室の半分の換気を求められ24時間機械換気が義務付けられている。しかし換気口や給気口が100%機能しているかどうかは分からない。埃やカビで目詰まりはしていないだろうか、また機能していたとしてもスイッチをonにしない限り何の用もなさない。

 

そのことも懸念してかコロナに精通する専門家達は窓を開放しての換気を盛んに促す。気密性を上げれば上げるほど換気が重要になることを覚えておきたい。

 

最近は簡単に得られることもあって、新しい情報を追い求め、情報過多に陥りやすい。どれだけの費用をかけてどれほどの設備を駆使したとしても、100%と言える完璧性は存在しない。良薬であっても何らかの副作用がありリスクを伴うのと似ている。

 

住宅の性能を上げれば上げるほど、気候はそれに抗うように地震、熱気温、台風、豪雨、竜巻など今まで経験したことのない激しさで試練を叩きつける。

 

住宅はどこまでの対応を迫られるのだろうか。その付けは費用負担増に繋がり、結局は施主さんが受けることになる。少し冷静になって考えてみよう。

 

まず機械に頼る前に、智慧を駆使して出来ることはないだろうか。当たり前のことであって当たり前でない、立地に即応した日射や通風をどう生かし切れるかであろう。もちろん北海道と沖縄では必要とすることも違う筈、我が家は何を望み、どこまでを必要とするのか。情報に煽られることなく冷静な判断を願ってやまない。

 

(「木族」2020年12月号より)

批判はしたけれど

朴訥の論

毎週木曜日、国産材住宅推進協会と建築士事務所民家の全体会議を行っている。

「民家」の工事の現況報告や各現場の問題点に始まり、協会のボランティアを兼任していることもあって、協会のイベント状況や、木造住宅講座の内容の検討など、その時々に合わせて行っているが、ともすれば会話が一方的になり、マンネリ化しかねない。

 

そこでスタッフ全員の会話力の向上も狙い、持ち回りで担当者が会議を仕切ることにした。願わくばそれぞれがテーマを考え会議に臨んで欲しいとの考えもあった。

 

入社2年目のスタッフに順番が回った時、「何を言っていいのか分からないので、皆の良いところを一つずつ話すことにします」と、一人一人の長所を語りだした。名指しで誉められて怒る人はいない。その返礼に全員から彼の長所を上げてもらった。子どもじみているが何だかほっこりした柔らかい空気に包まれた気がした。

 

今、大抵の企業はコロナ禍のあおりで売り上げが伸びず、先の見えない状態に企業側にも社員側にも閉塞感が漂う。経営がスムーズに流れなければ不安からくる不平不満が蓄積し、愚痴になる。上手く回らないのはリーダーのやり方がまずいから、いや誰々さんのせいだと負の擦り合いが始まる。

 

今、やられたらやり返すの決め台詞で、テレビドラマが高視聴率を上げているのも、閉塞感漂う社会への反動の現れではないだろうか。こんな時代、身近にいる人こそ真に信じあえる関係性を築きたいものだ。

 

コロナ禍で在宅時間も多くなり、親族間の争いも増えていると聞く。考えてみればコロナごときに家族の調和まで乱されることはない。先の話ではないが、こういう時こそ相手の良いところを見直したいものだ。

 

 

「相田みつを」の言葉に「批判はしたけれど、自分はできるだろうか」という言葉がある。批判することは簡単だが、果たして自分はその人のやっていることが出来るだろうか考えれば、何一つ出来ないことに気づかされる。それが分かれば人を責めることなど到底できない。

 

人は窮地に立たされた時に、その人間性が試される。誰かを責めたくなった時、一呼吸置いて果たして自分に出来るだろうか、と問いかけるゆとりと幅を養いたいものだ。

 

(「木族」2020年10月号より)

 

値段は嘘をつかない

朴訥の論

長雨とコロナ禍に落ち着かない日々が続いていますが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

 

先日、そうなるとは分かっていながら安価につられスーパーでワンパック100円の卵を買った。案の定、黄身は膨らみを失っていた。いまや一般に食への意識は高く、大抵の主婦は、余程のことがない限り「値段は嘘をつかない」ことを良くご存じだ。

 

しかし、住宅に関してはどうも風向きが怪しくなる。形状・仕様内容など全く違うものを比べ、高いの一言で評価されることがある。とかく自然素材は扱いにくく、その良さを理解してもらうには、説明を重ねるしかなさそうだ。特に木材に関しては、工業製品に慣れ親しんだ人にとっては、僅かな狂いがあっても許しがたい。

 

長きにわたり無垢材を理解してもらうため、セミナーなどで説明してきたが、世代が変われば伝わらず、繰り返し伝え続ける必要がある。

 

 

ネットや文献で知識を得ても、現実に体験しない限り理解は得られない。杉床板の施工方法一つをとっても、下地や接着剤に何を使うかによってはひびが入ったり、床鳴りがすることがある。それを回避するために生産者さんはウレタン系の強力な接着剤を使うことを推奨されているが、それも説明をしたうえで施工しないと、後で問題になる。あちらを立てればこちらが立たずである。

 

かつてセミナーの基礎工事の話で、鉄筋の適切な太さを伝えたところ、現場でゲージを当て口径が足りないとクレームに発展したことがあった。何のことはない異形鉄筋であったため事なきを得たが、数字はわかりやすいが、自然素材であればなおさら、数字で表現するのは難しい。

 

木材の収縮も一律に起きるわけでなく、それぞれの性質により収縮にもバラつきがある。許容範囲とうたっても施工側と使う側で許容範囲にも感覚のズレがある。

 

好評を得ている塗り壁材「そよかぜ」は、ビニールクロス一辺倒の住まいづくりに一石を投じたかったことと、微力ながら左官技術を守りたい一念で開発されたものだ。しかし、施工時の温度や湿度、風の当たり様でヘアークラックが入ることもある。利用者に寛容になって欲しいとは思うものの、それのみに甘んじる訳にもいかず、悩みはつきそうにない。

 

板材にしろ「そよかぜ」にしろ、それでも使わずにおれないのは生産者のたゆまぬ時間と労苦、代えがたい価値を知っているからに他ならない。

 

 

(「木族」2020年8月号より)

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