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「朴訥の論」コラムの記事一覧

林業を身近な職に

朴訥の論

10年前に制作された映画「キツツキと雨」を見た。妻を亡くし息子と暮らす林業作業員を役所広司が演じている。木の伐採シーンから始まり、枝打ち作業で木の上に上る様は少しぎこちないがそれらしいオーラを放つのは流石ベテランの証だろう。

 

物語は不躾に里山に入り込んだ若い映画監督率いるロケ隊と、無骨な林業作業員がお互いのぎこちない触れ合いの中で、徐々に心を通わせていく様子を映す。

 

全く無縁ともいえる林業作業員が若い監督の手助けに奔走し、村人をも巻き込み加熱していく。意思疎通が思うように図れずニートを続けていた息子が、いつしか親父と同じ林業作業員の道を選択していくというストーリーだ。荒廃する里山や林業従事者の減少が気になる一人としてほっこりする映画だった。

 

林業従事者の仕事場は、山の手入れを行い木を育てる人と、伐採した木を丸太に加工し集材する迄の作業と、その他の林業作業者に分類される。林野庁のまとめ(H30)によれば1985年(S60)に約12万6千人いた林業作業者は2005年(H17)には5万2千人まで減少している。

 

「緑の雇用」事業で学生等へも働きかけ林業への新規就業者が若干増加傾向にあるというものの、どの分野にも当てはまるが3~5年で転職し定着率は5割程度だそうだ。

 

先日サンケイ新聞で紹介されていたが、可能な限り地域に環境負荷を与えず山を管理していく「自伐型林業」が着目されていて、福井県でその担い手を育てる大学校が開校したようだ。もちろん林業従事者を増やすことが目的だが寂れていく中山間地への移住を促し、地域の活性にもつなぐ。

 

自伐型林業は一度に大量の木を伐採する「皆伐」と違い、少しずつ必要な木を間引く「間伐」を繰り返し行う、少人数で行える山の管理法だ。家族やグループで取り組める気安さもある。

 

 

大学校では基本的な道具の使い方や伐採する木の選び方、作業道のつくり方や整備法、林業経営の基本まで教える。きっかけとなる学校を通して先ずは林業を知ることから始め、楽しく学ぶことで自信とやる気を引き出して欲しい。

 

話は変わるが、7月に山遊びを行う福知山の伊東氏は元建築士事務所民家の現場監督だった。国産材に係わり家づくりを行う中で故郷・福知山に開眼した一人だ。

 

林業は一般に知る機会を与えられていない未知の分野ではないだろうか。もっと林業を身近な存在として認識出来れば就業の選択肢に加えられるような気がするのだが。

 

 

(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)

~2023年木族6月号より~

猫の住環境

朴訥の論

築85年のリノベーションで猫部屋を設けたN様が、創って良かったと喜んでおられると(現場)監督から聞いた。

 

近年、ペットは犬をおさえ猫ブームのようだ。散歩の必要性がなく、犬と比べて経費が掛からず長寿命というのも人気の理由らしい。

 

ただ出来れば半外飼いでなく、事故や伝染病などの観点からも完全室内飼いが望まれている。また猫は快適な環境を何よりも重視する動物だとも聞く。

 

今回のリノベーションは連棟の平屋を一軒にまとめる施工だったが、片方の玄関を潰し、ガラス張りの猫部屋に充てている。小部屋は陽当りも良く、猫たちが遊べるキャットタワーを設け、外からも眺められるようになっている。ご近所の方も通りすがりに覗いては猫の様子を楽しんでいるとか。

ともすれば閉鎖的に成りがちな日本家屋で、外に開かれた部屋を造るにはいささか抵抗があるが、設計者の意図はあくまでも猫目線で「猫も外を眺めたいだろう」だった。

 

プライベートゾーンとの仕切りはあるもののその提案にOKを出されたお施主さんがあってのこと。

 

先日、新聞に犬、猫のペットを飼っている高齢者は、飼っていない人に比べ介護費が半額に抑えられていると載っていた。460人の調査結果で分かったそうだ。調査研究に当たった国立環境研究所の主任は「高齢者がペットを飼いやすい環境を整えることが、社会保障費の抑制につながる」と述べている。

 

それを立証する意味でも杉の床板は逸材と言えるだろう。キズを懸念する人も多いが、それを超える心地よさがある。

 

話は変わるが、35年前に柴犬を飼ったことがある。多忙を極める毎日に癒しを求めての事だったが、2年経った頃、引っ越したマンション(3階)のドアを開けた瞬間、猛ダッシュで階段を走り抜けていった。近所を探し回ったが、二度と戻ってくることはなかった。

 

何やら犬に三下り半を下されたようで落ち込んだ。今思えば自らの利ばかりを求め、犬の住環境を考えるなど思いも及ばず、ストレスを溜めていた結果だと納得できる。

 

一人暮らしが増え、老若男女を問わず孤立しがちな社会、自分を頼るものの為に責任を負うことで生活にリズムと潤いが生まれる。

 

人間も犬、猫も寿命は年々延びているという。縁あって暮らしを共にする以上、最後までいい絆で責任を全うしたいものだ。

 

(2023年木族4月号より)

 

海よ山よ

朴訥の論

年明け早々、淀川にマッコウクジラが迷い込み地域を驚かせた。時々吹き上げる弱弱しい潮が命の終わりを感じさせ哀れを誘った。

 

東京湾にもクジラやイルカが見られ、赤潮による海苔の被害が報じられた。温暖化による海水の変化がもたらす効果だろうか。地上の変化は目にすることでまだ分かりやすいが、海中の出来事は想像すら出来ない。

 

国産材の運動を始めた頃、ある林業家から海水を飲み水に変える等海水に手を出せば地球の未来はないだろうと聞いたことがある。山からの湧き水は地下に浸透した数百年前の水だとも聞き驚いたものだ。そこの水を絶やさない為にも健全な森林の育成が必要だと熱く語られていた。

 

地球温暖化防止で二酸化炭素の削減が困難を極める今、沿岸に生育するマングローブや海草、海藻などが吸収する炭素はブルーカーボンと呼ばれ、CO2の削減対策として世界的に注目されている。

 

海藻は光合成で二酸化炭素を吸収し、枯れると二酸化炭素を吸収したまま地中に埋没し、長期間貯留させるという。海底の泥場には酸素がない為バクテリアによる分解が抑制されるからだそうだ。

 

その海藻藻場も消失が激しく、年平均で2~7%の割合で減少していると『Blue・Carbon』は警鐘をならしている。日本も例外ではなく、瀬戸内海の海藻藻場は沿岸開発や水質汚染の為1961~1991年の間に1万6000haが消失している。国も藻場や湿地の保全拡大の対策を練っているが、何より一般の意識がそこにあることが不可欠だろう。

 

宮崎の諸塚村から丁寧な礼状が届いた。昨年9月の台風14号の豪雨災害に対して行ったごく僅かな寄付に対するものだった。

諸塚村は平成17年9月にも台風による豪雨災害を受けている。その2か月後、当時取り組んでいた宮崎県諸塚村への「産直のふるさとツアー」が決まっていた。復興の多忙な時間を割いて案内頂いた事は、今考えても頭が下がる。

 

小型バスから見る景色は絶句するばかりだった。雨量は予想を遥かに超え、土砂は木々をなぎ倒し倒木と共に川沿いの商店街を押し流した。

 

驚きは、一人の死者も出さず、僅か2カ月余りで一応の生活が可能なまでに復旧されていたことだ。村民の気迫と爆発するようなエネルギーを感じ、胸が熱くなった。

 

あれから17年、昨年9月にまた同じような災害に遭われたかと思うと気の毒でならない。山村で暮らす宿命と言えばそれまでだが、復旧がスムーズに行われることを心から願ってやまない。

 

(2023年木族2月号より)

助け合って生き残る

朴訥の論

様々な林業家から木にまつわる不思議な話を聞いたことがあった。

 

伐採される木は今から伐採されることを知っているという。また一本の木が害虫に蝕まれると隣接する林から一斉に虫が嫌う物質を放出し身を守るなど、俄かには信じられず半信半疑で聞いていた。

 

先日、それを裏付ける番組がNHKで「超進化論」と題し、実験映像を放映していた。一見静かに佇んでいるだけと思われた植物にこんなコミュニケーション能力が備わっていたとは・・・。

 

葉が青虫に食われるとグルタミン酸が発生、化学変化を起こし葉で毒物を生成する。虫の種類や大きさによって毒の量を調整するというから驚きだ。また、森林の80%は木と木を繋ぐ菌糸のネットワークを地下に構成しているという。

 

 

土を入れたボックスの中央に松を植え、その左右に樫を植え、両方の樫にそれぞれ光が入らないように袋を被せる。一方の樫は完全に土中を仕切り、片一方は僅かに空気が通るメッシュで仕切り6カ月間様子を見たところ、仕切られた樫は枯れ、片方の樫は松が光合成でつくった養分を菌糸が樫に与え続け立派に生き残っていた。

 

樹種が違ってもその行為は変わらず、助け合うというから見事だ。

 

映像の終わりに、ダーウィンの進化論は生物は競い合って生き残ることを説いたが、超進化論は助け合って生き残ると締めくくられていた。

 

生態系に絶大な恩恵をもたらしてくれる森林だが、人類が引き起こす環境汚染は植物の地下のコミュニケーションを破壊し、毎週9万ヘクタールの森林が消滅しているという。争いの多い人間に植物の声なき声が届く日は来るだろうか。

 

近年、建築中の現場にも孤立感が生み出す自己保身なのか、自分の事しか考えられず許容力に欠ける人が増えているかに思える。新築に伴い水道業者が前の居住者が流していた側溝に雨水を流す工事をしていたところ、隣人からストップがかかった。大雨が降ると側溝が溢れるため雨水を流すなと言う。迂回経路に流すにも溝を詰まらせないという念書の提出を求められた。

 

都市部では開発に下水道の整備が追い付かず、大雨の度に道路が河川と化す光景をよく目にする。それであれば、地域ぐるみでコミュニケーション力を発揮し、広い視野に立った解決策を検討するべきではないだろうか。

 

樹木の様に相手を思いやる心は、助け合いの精神を育み、街並みに活力と潤いを与えてくれるだろう。

 

(2022年木族12月号より)

 

食が満たすもの

朴訥の論

台風一過、季節が急変するように秋を迎えた。スーパーに秋の食材が並び、肴がお酒を誘う。コロナで飲み会も久しいが、仕事仲間と過ごす時間は人となりを知る意味でも有意義なものだ。

 

随分前に飲み会で職人さんから聞いた話がある。母子家庭に育ち、母親が朝から晩まで必死で働いても5人の子どもを養っていくには時間とお金にゆとり等ない。

 

中学生当時、学校給食が無くクラスでお弁当を持たない生徒が2名居たそうだ。昼食時、弁当が無くても教室から出ることを禁じられ、先生と級友が食べる時間じっと席で耐えたという。友達の弁当の卵焼きを見ては幾度となく生唾を飲んだ。

 

多感な年ごろ、特に女子には恥ずかしく、その時ほど屈辱を味わったことはないと話す。育ち盛りで一番食欲旺盛な時期、せめて運動場に出ることを許されていたら、空腹を我慢するだけで済んだのにと、思い出して涙ぐんだ。数十年経た今も、その教師の顔が浮かぶという。

 

話を聞くだけで、それを毎日平気で行った教師に憤りを覚えた。子どもの気持ちを推し量れない教師に教育など出来る筈もない。唯一救われたのは、時に自分の弁当を分けてくれる友達がいたことだそうだ。今の時代に同じことをする教師はいないと思いたいが、いじめ問題を聞くにつけ、無神経と自己保身に流れる教師の存在を憂うばかりだ。

最近、障がい者のグループホームに携わる方から興味深い話を伺った。

 

ホームに入所している方が暮らしにも慣れ、精神的にも安定し休日などで4,5日自宅で過ごし戻ってこられると、体調を崩し精神的にも不安定になっていることが多いと話しておられた。ご家族は久しぶりの帰宅で、慣れない対応に追われ、手づくりの食事までは行き届かず店屋物で済ましがちだ。その施設では何よりも食事に重きを置き、食材や手づくりにこだわり提供されていると伺った。

 

食は胃袋を満たすだけでなく、どれほど精神を豊かにしてくれることだろう。会話が出来る環境の中で、満たされた食卓があればこれほど幸せなことはない。

 

千葉の友人が地域ぐるみで「こども食堂」を開いている。貧困が故に悔しい思いをする子らの空腹を満たすだけでも非行に走る子は減るだろう。続行を心から願いたい。

 

半世紀近く経った今も、活きのいい鯖に父を思う。板前だった父のバッテラは格別なものとして舌の奥に厳然と記憶されているのだから。

 

(2022年木族10月号より)

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