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「朴訥の論」コラムの記事一覧

相談相手たらん

朴訥の論

コロナ禍による自粛要請から2週間経った頃、事務所に3人の男子中学生が訪ねてきた。倉庫にある端材を利用し、秘密基地のテーブルを創りたいという。たまたま空いていた倉庫で、いささか頼りなげなテーブルを完成させ、嬉しそうに自転車に積み帰って行った。

 

退屈を持て余したのか2,3日して「また遊びに行っていいですか」の電話があり、丁度塗ろうとしていた事務所の壁の下地塗りをやってみたいという。親の了解を確かめた上、2時間ほど黙々と作業をし、僅かでも達成感を味わえたのか軽やかに帰っていった。

 

 

2日後、事務所スタッフにも慣れたのか今度は「舟を創りたい」という。それにはさすがにスタッフも仕事があるからと断ったが、頼られると相談に乗ってあげたくなるものだ。

 

住宅には様々な問題が発生する。好条件の平坦な土地に何の問題も無く建築できることは稀と言っても過言ではない。土地に絡む近隣とのトラブルや、相続に絡む問題、建築基準法に関係することなど問題は尽きない。

 

直接建築に関係しない相談も入る。板壁の間に落下した蝙蝠(こうもり)や、壁の隙間に落ちた子猫の救出、洗面台に落とした指輪の捜索、雨樋に詰まった枯葉の清掃など、数えればきりがない。相談があれば放っておくわけにもいかず、担当者が駆け付け解決に当たる。

 

落語家の立川談慶さんがある本に書いていたが、いつも暇そうな呉服屋さんがなかなかつぶれないのは、着物にまつわる相談を受け、アドバイスをする中で染み抜きなどメンテナンスの仕事が生まれ、足袋や小物をきっかけに孫の成人式にまで話が及ぶこともある。

 

「物売り」より、相談相手、これが「心売り」のスタイルだと説く。その心売りがセールストークに真似のできない人間関係を育む。

 

コロナ禍で価値観が変化した方もいるのではないだろうか。大抵お金で得られると思っていた満足が、もはやお金では得られない事を実感し、幸せの物差しが変わった方もいるだろう。また、ここにきて掛かりつけ医の必要性を改めて感じた。もしもに備え相談できる医者がいるといないでは安心の度合いが違う。

 

願わくば、子どもであれ大人であれ相手を選ばず相談相手となり得る協会でありたい。

 

先の中学生はこの長い自粛期間をどう乗り越えているだろうか。

 

(「木族」2020年6月号より)

 

元気出してゆこう

朴訥の論

銀行や取引先の営業マンなど来訪者の全てがコロナウイルスによる不況を口にし、いかに社会が疲弊しているかを語る。聞く方まで沈みそうになるが、そんな時、ふと思い出す歌がある。

 

「元気出してゆこう、声かけあってゆこう」

 

平成6年10月に開催した『第1回・森のコンサート』でのことだった。コンサートを企画した故・前理事長竹中東吉氏は20年近く患っていた糖尿病からくる心不全が原因で、開催を待たずして2日前に亡くなった。身内のみで荼毘に付し、開催当日に河島英五さん(歌手)にそのことを告げ、併せて1,000人会場に500人の集客しかできなかったことを詫びた。

 

しばし絶句された後、「どう言っていいのか分かりませんが、兎に角精一杯歌いましょう」

 

幕間に河島さんと対談したいと言っていた主を失った車椅子は、真っ赤なバラを抱き舞台の袖で聞いていた。

 

公演は2時間半を遥かに超えエネルギーを絞り出すような歌声は観客を魅了し、全員総立ちの「元気出してゆこう」の大合唱は、観客率50%と思えない熱気と興奮に包まれた。あたかもカンフル注射を打ったように、それまで沈んでいたスタッフの表情にも光が射した。

 

3か月後に発生した阪神・淡路大震災はダブルパンチだったが、あれから25年、困難が起きるたびに当時を思い出し「元気出してゆこう」が喝を与え続けている。

 

当初これ程まで大きくならないと思われたコロナウイルス騒動は、ジャブの様にジワジワと効き世界経済をも揺るがしている。オリンピックも絡み国も躍起となっているが快刀乱麻を絶つようにはいきそうにない。

 

 

話は変わるが、消費税増税後の新築やリフォームに対し一定の性能を有した場合、商品と交換できる次世代住宅ポイントが設けられている。

 

一応、お施主さん自らの申請とはしているが、手続きが煩雑で工務店に任されることになる。期限が短い上に内容を確かめるにも電話が繋がらず、担当者のストレスは溜まる。

 

指定商品を還元することが良いとも思えず、支援金を生活費に充てたとして何の不都合があるのか疑問に思う。窮する人への支援であればその人の立場に立って考えるのが当然と思えるのだが…。

 

今回も何らかの経済支援をというのであれば単純明快な施策を願いたいものだ。

 

「こせこせするな、くよくよするな、青空に鯉のぼり」

 

(「木族」2020年4月号より)

80歳の桜に思う

朴訥の論

「この桜は残してあげて欲しい」

 

古い屋敷を購入され、取壊し新築を計画しているお施主さんがいる。屋敷内に樹齢80年の桜の古木があり、一昨年の台風で枝が折れたと前の家主さんにうかがった。

 

古屋を解体するにあたり、その桜の木を伐採するか残すか、相談を受けるが答えが見つからない。新築する建物に緩衝する枝は切る必要がある。当然、張り出した根も切らざるを得ない。それだけ痛めて果たして桜は持ち堪えてくれるだろうか。決心がつかず、樹木医さんに検査を依頼し判断を委ねることにした。

 

直径1.2m程ある幹を木槌で叩けばコツコツと乾いた音が鳴り、幹の半分は祠になっていることが分かった。樹木医さんの判断は、腐ったところを切り取り治療するよりも伐採を最小限にとどめ、根が張りやすいように土壌を柔らかくし、周りを直接踏まないようにすることだと言う。周りの植栽も出来ればそのままに環境を変えない方が良いとのこと。

 

桜をいえば思い浮かべるのは嫌な毛虫だ。前述の家主さんによれば、ぶら下がる毛虫と普通の毛虫と2種類いるらしい。殺虫剤のタイミングを間違えると大変だと聞く。

「そやけどなぁ、ここで80年も生きてきたもんを自分らの都合で伐ってしもてもええんやろか」しんみりとお施主さんが呟いた。

 

桜には自力で修復できる能力があるか、枝が折れた時に伐り方を間違えると修復できないとも。先の枝にも割れがあるが直前の枝が異常に太いのは枝を落とすまいと必死に支えた結果だそうだ。そう聞けばなおさらその健気さがいとおしい。

 

 

「やっぱり残しましょ」お施主さんがきっぱりと結論を下した。

 

人は誰でも大切にしていること・ものがある。解体時に有り勝ちなミスは価値観の違いが引き起こすことが多い。もうすっかり色褪せしたカーテンを捨ててしまったことがある。壊れた椅子、使い古した日除け帽など作業時に不用品と判断し、処分後に叱責を受けたものばかりだ。何が大切かはその人でなければ分からない。それぞれに繋いでおきたい想いがあった。

 

4月には、あの桜は川面をピンクに染め人々の目を楽しませているだろう。地域に和と潤いをもたらしているに違いない。何度も春を謳歌して欲しいと願う。

 

(「木族」2020年2月号より)

それでも山に生きる

朴訥の論

それでも、山に生きなければ・・・

 

国産材の普及活動を続けて35年になるが、運動を継続する動機の一つでもあった宮崎県諸塚村の甲斐重勝さん(昭和54年より村長として4期務める。2018年4月没)が亡くなられたことを知ったのは最近である。

 

昭和から平成に変わったころ大阪で講演をしてもらったことがある。その話に強い衝撃を受け、改めて国産材の普及活動に使命を感じた。林業立村に生涯をかけた甲斐さんの講演記録からその思いを、今一度伝えたい。(1993年9月13日、宮崎県広報誌より)

 

◇     ◇

 

今日、山村の現状は大変厳しく、心ならずも山村を離れていく人々や、林業・山村の将来に良き展望を見出せずに故郷に帰ろうとしない若者も多いのが現実です。

 

私は山々を見ながら、「先祖たちは何を考え、黙々とこれらの木を植えたのだろうか?」と考えます。

 

当時は道路もなく、食べる物にも事欠く時代です。そんな中、朝暗いうちから苗木を背負い、弁当を持ち、1時間2時間かけて現地に行き、谷川で水を汲み、一日の作業の安全を山の神に祈り作業にかかる。そして日が暮れて暗くなった頃、山を降りる。そんな毎日を積み重ねながら、先祖たちは広大な面積に造林をしていったのです。

 

そこにあったのは、あまりにも厳しい、当時の村での生活環境の中、「せめて自分たちの子や孫の時代には少しでも楽をさせてやりたい。何としてもこの故郷を守り続けたい」という願いだったのだろうと私は思うのです。

 

昭和20年代の諸塚村は「宮崎県一の貧乏村」でした。その中で私たちの先祖は、「戦争に負け、自信と目標を失った村民に意欲を持たせ、立ち上がらせよう」「林業によって豊かな山村を創造しよう」と、地域の活動や産業の振興に力を注いできたのです。

 

故郷に帰らず農林業をやらないことを「けしからん」と申し上げるつもりはありません。しかし、お互いに考えていくべき問題もあるのではないかと思うのです。

 

(中略)

 

私たちにとって大事なのは、「都市対山村」や「川上対川下」などの対立の構図ではありません。

 

同じ地球に住む住民として、都市の人たちにはしっかりと森林の役割を理解してもらい、森林を守り育てる山村住民も、その役割をしっかりと踏まえながら一緒に考えていく、そんな姿勢が大事なのだと思います。

 

森林や山村を守ることは、間違いなく人類にとって非常に大切な仕事です。私たち山村住民は、あらためてそのことへの自負と自信を持つべきです。

 

私は、そんな困難があろうとも、たとえ一人になろうとも、生涯をかけて林業立村の村づくりを目指します。私たちが頑張らなければ、地球の未来も人類の未来もない。そんな思いを抱きながら、先祖たちが守ってきた山村を守り続けていきたいと思うのです。

(諸塚村長=当時=甲斐重勝)

 

◇     ◇

 

鮮明に残るご講演を忘れることなく、多くの人に伝え続けたいと思います、大いなる感謝と共に。

 

(「木族」2019年12月号より)

心地よい風を通す

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ある雑誌のエッセイに普段着のことが載っていた。服装には3段階TPOに分かれ正装・外出着・普段着とあるが家で過ごす時はTシャツにジャージなどで寛ぐことが多い。還暦を過ぎ子供達も家を出た時、暮らし方を変えようと考え、普段着をやめて少しお洒落をして過ごすことにした。そうすることで日常生活にも変化が生まれたという。朝食のテーブルに小さな花が挿され、セッティングにも工夫が生まれ、暮らしにゆとりを感じたそうだ。

 

そういえば思い当たることがある。30代半ば、シングルマザーの友人がいて、決して華やかでなく寧ろ質素ではあるが、いつ訪ねても身だしなみが良く、もてなし方が自然で所作に優雅さが漂っていた。氏より育ちか、と思っていたが、今考えれば日々の生活を大切にし、暮らしを楽しむという彼女なりのポリシーがあったようだ。

 

言わずもがな部屋はいつも整理され、季節を感じさせる設えがあった。目配り気配りが行き届き、感性の冴えた人だった。

 

彼女に見習い、新しいマンションに引っ越した折、広々と片付いた部屋に道の駅で買った桜の花を生けたことがある。10日間程、花見酒と洒落込んだが、部屋の隅にモゾモゾと動く数匹の毛虫を発見し、悲鳴と共に桜は敢え無く没となった。

 

以来、わが家に枝物の生花が活けられることはない。所詮、憧れに過ぎず、彼女の精神とは程遠いものであることに気づかされた。

 

中身が良ければ外観なんて、という方もいるが、身だしなみはその人の内面を映し出す。職場にあってもスタッフの服装には敏感になる。言わずもがな第一印象で判断されることが多いこともあるが、服装で行動が変化した経験はないだろうか。

 

ワンピースとジーパンでは言葉遣いも変わる。住まいにおいても同じこと、いつも目にする家具の定位置を変えるだけで気分も一新する。

 

先日、ナチュラルな木のある暮らしの提案「暮らしに心地よい風を通したい」という講演をさせていただいた。

 

 

新築やリフォームなど費用をかけなくても、その気があれば本棚やテーブルなど杉板などで手作りするも良し、時間をかけてなしえた達成感は得難いものだ。間違いなく杉板はその努力に応えてくれる。

 

そのあとの「心地よい風を通す」は、住まいに対するちょっとした気配りと、愛情に他ならない。誰かが言った「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」とは言いえて妙だ。

(「木族」2019年10月号より)

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