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「朴訥の論」コラムの記事一覧

込み栓の儀

朴訥の論

棟上げは何度しても誇らしく楽しいものだ。大工さんが声を掛け合い、土台、柱、梁をカケヤで打ち固めていく。平面図で見ていたものが立体的に組みあがっていく様は、一日中見ていても飽きずワクワクする場面でもある。

 

一昔前は、近しい人も招き現場で一大宴会が開かれることも。大工さんとの会話も弾み、完成する頃には冗談を言い合える仲になっている事も多かった。今、同じことをすれば迷惑防止条例で、警察沙汰になるだろう。

もうそんな儀式をやる時代ではないと、地鎮祭や上棟式を省く工務店も多いと聞く。

家づくりの考え方も日々進化し、今まで主張してきた事を変化させる必要に迫られることもある。

 

先日、協会の昔を知る建築士さんに「以前のように屋根下地に30mmの杉板は張らないの」と、問われた。かつては、合板を極力使わないことを主張しそれを貫いてきた。最近ではコストも考慮し耐震性を上げる簡便な方法として、合板を使うことが多い。

 

住宅設備機器についても以前、基礎や構造に十分な予算をかけ、キッチン等の消耗品は予算が出来てから入れ替えれば良いと説いていた。しかし、今やキッチンは暮らしの中心でもあり、大切な家族のコミュニケーションの場でもある。後で買い替えると言えるほど安易なものでなく、水周りにはあらゆる事を吟味し、選択に神経を注ぐ。これだけ環境変化が著しくなれば、それに追随した反応が求められて然りだ。

 

そんな中、曲げないことの一つに上棟式がある。上棟式は棟が上がった歓びと、工事の無事を願い行う大工さんの祭事であり、お施主さんとの大切な交流の場でもある。

 

「込み栓」もまたこだわりの一つと言える。柱の引き抜き防止として土台、梁等と柱の緊結に一般的な金物を使わず、ホゾ穴を開け樫などの堅木(込み栓)を打ち込む。

 

先日、親子孫と3代揃った上棟式に花を添える儀式として「込み栓の儀」と名付け、込み栓打ちを体験してもらった。力いっぱいカケヤをふる子どもの姿に「ヨイショ、ヨイショ」と掛け声をかけ、参加者全員に不思議な連帯感が生まれた。家を商品と考える風潮があるが、多くの人の手を経て創り上げる物だと理解し、家づくりを楽しいものとして記憶にとどめて欲しい。

 

「僕の『込み栓』は、キッチンのこの柱やなぁ」自信に満ちたお兄ちゃん(小学生)の顔があった。

 

(2022年木族8月号より)

 

自らの働き方改革

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企業研修で専門学校の学生さんが3名参加してくれた。テーマを「小屋づくり」とし、プラン提案から模型製作をし、プレゼンをしてもらった。「どう、楽しい」に「楽しいです」の即答が返る。真剣に作業する眼差しが言葉を表している。

 

ところが仕事になると経験を重ねる程にマンネリ化し、情熱も色褪せてくる。人とはいい加減な生き物で、自らを甘やかせば生きやすい方向に流れがちだ。マンネリは自分が作り出した惰性に過ぎない。

 

以前、新築のプラン提案を社内コンペで行ったことがあった。設計歴30年のベテランと入社2年目の建築士がプラン提案し、お施主さんの前で個々にプレゼンを行った。

 

結果、選択されたのは2年目のスタッフが出したプランだった。後日、お施主さんに選択した理由を訪ねたところ、ベテランと比較して力量に差があるのは分かったが、この仕事をやりたいという情熱を感じ、それを叶えさせてやろうと思ったそうだ。

 

プランは描いたものの土壁仕様、茶室に出書院となれば簡単に出来るものでもなく、ベテランスタッフが手伝い完成させた。

今思えば快く指導に応じてくれたOさん(プランを競ったベテラン)の度量に感謝しかない。人の心を動かすのは技術でもお金でもない、純粋に仕事にかける熱意ではないだろうか。

 

国が労働力不足解消の一つとして推し進める「働き方改革」は誰でもがそれぞれの事情に合わせて、自分に見合った働き方を選択できるための施策だそうだ。確かに労働力の低下がここまで進めば、そうせざるを得ない状態であることは理解できる。

 

ただ今一度、自らに問いかけて欲しい。仕事とは何か、何のために働くのか。まず自らが出来る働き方改革はないだろうか。

 

仕事に集中できているか、少しでも時間短縮出きることはないか、重複して行っている仕事はないか、横の連携は取れているか、報告は徹底しているだろうか。二手三手先読みした行動がとれているか。考えられることは十指に余る。

 

毎日定時に終わり、給料もボーナスも望み通り、何のリスクも負わない、そんな会社が存在するだろうか。複雑な社会情勢に加え人の心も読みにくい昨今、そんな時代の中にあっても仕事が与えられていることに感謝し、その仕事に情熱をもって取り組めることを喜びとしたい。

 

それ即ち働き方改革。

 

(2022年木族6月号より)

ある日の工事現場で

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基礎工事現場から監督の緊迫した電話が入った。堀方をした基礎屋さんが残土を処分場に運んだところ、木屑や瓦片、ガラス片等が混じっている為受取拒否をされ、2,3件回った何処も同じで産廃処理場に行くよう指示されたという。産廃となると130万円程の追加金が必要になり、悩んだ挙句の電話だった。

 

この現場は10日ほど前に築90年の木造住宅と築45年の2階建て、合わせて2棟を解体したばかりだった。

 

解体工事に関しては、建築士事務所民家が提出した見積額が折り合わず、お施主さんは知人が薦める解体業者に依頼された。

選択の理由は「知人の薦めもあり、解体にさほど技術が必要とも思えず安価な方がいいので」ということだった。差額が100万円を超せば誰でもそうするだろう。

 

どうしてそれほどの差になるのか問われたが全て算出して得られた金額でもあり、返答に困った。言われるように安価に越したことはないが、分別解体の仕方にも違いはあると思われたが・・・。

 

解体でよく問題になるのは、植栽や塀など建物に付随するものが見積もりに含まれているかいないかで揉めることが多く、後で追加請求されるのはよくある話だ。解体工事の範囲をしっかり確かめるようアドバイスするに留めたが・・・。

 

 

兎に角、解体契約を結んだ会社と解体業者が、お施主さんと三者立ち合いで協議することを勧めた。解体業者さんは外国の方で「私はミンチ解体はしない。これは前からあった土」と譲らない。

 

【ミンチ解体とは現在義務付けられている分別をしないで全て細かく砕いてしまうこと】

 

この仕事に携わって30年だと胸を張るが、現物を見れば一目瞭然。家を建てる前は田んぼだったと聞けば、何をかいわんやである。

 

契約会社の方が当事者だけで話したいという。5分ほどで出た結論は「この土を全部引き取ります」だった。

 

早い決断に驚いたが、話を拗らせ長引くリスクを考えれば賢明だろう。それにしても、高額になる産廃処分費はどうするのだろう。

 

後日お施主さんに問えば、20万円ほど追加金を支払うことで話がついたようだが・・・。

 

昨年7月に発生した熱海の土石流は不動産会社が行った盛り土に産廃が混じっていたことが要因の一つと言われていたが、同じ轍を踏まないことを切に願う。社会情勢に合わせ検査基準も進化していく、プロである以上熟知した上の請負でありたいものだ。やはり安いには安いなりの理由が存在することも記憶にとどめておきたい。

 

(「木族」2022年4月号より)

認知度・未だ低し

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一旦落ち着くかに思えたコロナ。それもつかの間、オミクロン株で又振り出しに戻されたようだ。

 

皆様には新しい年をいかがお過ごしですか。年明けより忙しい日を送らせて頂いているが、昨年に引き続き、給湯器など住宅設備機器や建材の入荷が遅れ、完成引渡し後も給湯器の取り付けが出来ず、多大なご迷惑をかけている。合板などの新建材にも品薄が続いているようだ。構造材に関してはゆすはら森林組合さんの采配で心配はなさそうだが、節ありの杉建材は発注から3ケ月待ちになり、早めの発注が必要という。

 

年末にマンションの床板をヒノキに張り替えるご依頼を受けた。既存床に床暖房が敷設されている為、釘を使わないで施工することになった。

 

曲がりやスキが出ることも懸念され、しっかり締め固め施工を行ったところ、完成直後にヒノキ板が数か所起き上がった状態になり、今度はやや緩めに張り替え、何とか落ち着いていると聞く。若干室内の湿度が高かったこともあるが、釘を打たない場合、板は好き勝手に暴れる。板材を作り置きできない理由がそこにある。

 

 

自然素材は至ってデリケート、環境に左右されやすい、言い換えれば自然に順応しやすい性質をもっている。ベテランの大工さんが扱いなれた材をもってしても環境まで読み込んでの力加減は難しい。

 

地産地消の考えから建築場所に近い地域材を使う方が理に適うという。

 

確かに木だけを見ればそうかもしれないが、建築の視点に立てばあながちそうとは言い切れない。国産材のくせを熟知し、且つ製材に関しては、1本1本拾い出し価格表示をしているが、単価の裏付けを求められ困惑した。

 

お施主さんからすれば、全てに定価があり、何パーセントで入るという考えが定着していたようだ。木材価格に定価はなく生ものと同じで、採れ高や需要と供給の関係によっても価格変化は生じる。質問に面食らったが、改めて説明の必要性を痛感させられた。

 

自戒を込め。国産材の認知度、未(いま)だ低し。

 

(「木族」2022年2月号より)

リレーインタビュー

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コープ自然派奈良の新事務所建築で、奈良の木を一部床板に使いたいという相談があり、T林業さんを紹介していただいた。

 

当日同席の中に下北山村の方がおられ、懐かしさに当時の情景が蘇った。以前「木族」で「山からの便り」と題し、林業関係のリレーインタビューを掲載していた。

 

平成5年(1993年)8月から平成21年3月迄の16年間、総勢188名の林業家に地域の状況や取り組み等、話を伺っている。4,50年かけ育てたスギ、ヒノキが売れないことで山が疲弊している現実を、林業家が直接語ることで、より生活者の理解が深まると考えたからだ。

 

林業家から紹介を受け次々に取材したが、当初は地域の名士が多く、窮しているという空気が中々伝わらず、途中出来るだけ中小規模の林家を取材するように心がけた。

 

T林業さん達に掲載のコピーを見せたところ残念ながら亡くなられた方もいて、Tさん曰く「世代交代が多く、もう一回リレーインタビューしてもらわんと」と返された。

「いやぁ体力が…」と応えたが、「もう一回リレーインタビューを」が頭から離れず、記事を読み返してみた。

 

 

下北山村への取材は平成16年(2004年)12月、山口高久さんの「山間の山では陽の昇る所と陽の落ちる所に木は植えなんだ。村に少しでも長く陽が射すように…」で始まっている。

 

「ここはまさにへき地。林業の後継者はゼロに近い。山だらけやのにどないするんやろ?と思いながら、自分も山じゃ食っていけんからと、外へ出てしまった。やっぱり子供のことを考えるとね」

 

山の手入れは森林組合に任せるしかないのが現状。しかし森林組合の合併が進み、組合と山主とのつながりが薄くなるのが心配と懸念しておられたが、その後どうなっているだろうか。

 

奈良県では1ヘクタールに6千~8千本の苗木を植え、生長に応じて選木されている。

 

「そうやって手入れしている時は良かったが、林業家のどこかに雨が降ったら木は太るって考えがあって、その日の仕事が出来ればいいわって気持ちがあったんじゃないかな」

 

「植物も人間も、全てを手に入れ、満たされ過ぎると子孫を残さなくなる。何十年か前に戻ったら、山問題も少子化問題も解決する気がする。自然に逆らったら負けや」と結ばれている。今一度、下北山村を訪ねてみたい。

 

(「木族」2021年12月号より)

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