「朴訥の論」コラムの記事一覧
30年程前に神戸在住の方から宮崎市で家を建てたいという相談があり、当協会が関わり宮崎の工務店で建ててもらった。
完成後に建物チェックで何度か伺ったが、数年後その工務店が倒産し、後の管理を友人の建築士(宮崎在住)に依頼したが、20年を経過し今年廃業したという。
昨今の地震・豪雨を考えると建築家の管理の重要性を痛感する。幸いにも宮崎県産直住宅推進協議会のメンバーの紹介で、後任の工務店が見つかった・
お施主さんからすれば新築であれリフォームであれ内容のわかった建築士に見てもらうのが一番安心できる。建てた限りは最後まで関わっていたい。
OB宅を訪問すれば決まって言われることがある。「つぶれんとってや、無くなったら私らは建築難民になる」
何が何でも事業の継続を第一に掲げ、がむしゃらに努めてきたが、あながち間違ってはいなかったようだ。
茨木で着ぐるみの製作やイベントツールのレンタルを行う「ふわふわ」さんは、26年前からのOB客である。週末住宅に始まり、事務所社屋や保育施設に今回の倉庫新築と4件の施工をさせて頂いた。
ふわふわさんがその季節ごとに出されるイベント案内の会報に、写真入りで新設の倉庫が紹介され、文章が添えられていた。
「国産材を使って、大工さんによる伝統的な工法で建てられるのですが、一顧客として日本の林業や大工技術の継承に貢献できれば嬉しいですね」とあった。
事あるごとに助けてもらっていたが、こんな風に思って頂いていたのかと思えば、胸が熱くなる。
国産材の事業を立ち上げた40年前と自然環境も暮らし方も目まぐるしく変化しているが、変えてはいけないものもある。
改めてこの活動を始めた原点を振り返ってみたい。日常に振り惑わされ働いていると目先しか見えなくなる。日々忙しく働くスタッフは猶更であろう。
50年、60年と継承させるには相当のエネルギーを要する。「建築難民にせんといて」に応えられる強い意志と柔軟な思考を持ちたい。
お施主さんに教えられることが多いこの頃である。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族10月号より~
梅雨明け間近の日に高知県梼原町への山林視察ツアーに参加した(主催・自然の住まい協議会)。参加者はコープ自然派の各地域で活動する自然の住まい協議会の担当理事さん達。今回の目的は、4月号「再造林のゆくえ」で紹介した梼原の「地域おこし協力隊」の造林チーム「きりかぶ」のメンバーにお会いし、再造林の構想と植林の現場を視察する為だ。
現在のきりかぶ隊メンバー6名では活動に制約もあり、出来れば自然の住まい協議会の協力を求めたいという。実際の植林現場は勾配もきつく素人が作業するには危険を伴う。経験のない都会人に果たしてどれほどの手伝いができるか2日をかけ、みっちり話し合いが行われた。
様々な意見や提案が出され、取っ掛かりとしてコープ自然派の会員さんに協力者を募り、50年、100年を見据えた広葉樹の森づくりを目指し、ドングリの苗を育ててもらい、その苗の植林を「きりかぶ」隊が行うという案が検討されることになった。
急峻な山に這うようにして行う植林は手作業のため、林業機械を用いて行う伐採とは比較にならないほどの肉体労働を要し、地拵えから始まる植林・育林を選択する人は少なくなっている。
皆伐時に高性能機械で伐採・集材から地拵えまで行う機械があるというが小規模の予算で賄えるものではない。
「きりかぶ」隊の熱い思いに、なりふり構わず行ってきた40年間の活動が重なった。広く国産材に興味をもってもらおうと各地の森林組合や林業家と連携し、伐採体験や植林体験などで参加者を募り山に導いた。林産地も何とか活路を見出そうと協力を惜しまず快く受け入れてくれた。それぞれが工夫を凝らし山林に簡易トイレを設けたり、豚汁やぜんざいを振舞ってくれたりもした。
ただ残念なことは、こちらの力不足もあり、地域の労力に報いるほどの実績には繋がらず、林地の方々の手を煩わす結果に申し訳なさがつのった。
昭和59年から始まった国有林の分収育林(みどりのオーナー制度)を倣って、あちこちの山林で名札を付けた樹木を見かけたが、数年で記憶の隅に追いやられた状態になっていた。
50年はとてつもなく永い。やり続けるにはバカかと思われる程の粘り強さが求められる。若いエネルギーに溢れた「きりかぶ」隊の情熱に一緒に乗ってみませんか。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族8月号より~
気候が定まらず朝夕の寒暖差も大きく、年々温度差が体に堪(こた)えるようです。
2月末、24年前に建築士事務所民家で新築をされたお宅からリフォームの相談を受け訪問した。
当時はシックハウスがクローズアップされ、まだ温熱環境に対しては一般的に認識も薄かった。今でこそ窓の複層ガラスは当たり前と言えるが、金額が嵩(かさ)む窓ガラスは単板か複層かは、お施主さまの判断にゆだねることが多かった。
延べ床面積70坪(240㎡)に石化建材を使用せず、土壁と自然素材に拘(こだわ)った住宅だった。お施主さんも60歳代とお若く、それほど寒い地域でもないため、単板ガラスを選択された。今、24年の時を経て娘さんのご家族がその家を継ぐことになり今回の運びとなった。
ところが久しぶりに訪問してその寒さに驚いた。低温床暖房は敷設しているものの南に大きく開いた掃き出し窓の熱の透過損失は大きく、カーテンもなく半年ばかり家を空けておられたこともあってか、室内はかなり冷え込んでいた。
冬に起きやすい心筋梗塞や心不全は寒い地域より暖かい地域に起こる率が高いという。寒冷地では寒さ対策に万全を期し、室温も安定していると聞く。
高温多湿の関西では家づくりは夏を旨とすべしが根付き、冬季の寒さ対策を軽んじる傾向にあったかもしれない。近年では住環境が健康リスクを左右するとまで言われ、高断熱の住宅と健康の深い関係が立証されている。
社会問題になっている認知症も、MRIで脳の健康状態を可視化したところ、暖かい住宅では脳の経年劣化が少なく、1℃暖かい家では2歳若いという調査結果もあったそうだ。
室内の温度を一定にすることで脳にダメージを与える血圧の乱降下が少ない等、様々な要因が重なることが脳年齢を若く保つことに繋がるという。
あらゆる病の引き金となる高血圧への注意喚起は、塩分の取りすぎや喫煙に栄養バランスなど各所で発信されている。ところが不思議なことに家の中を暖かくしようという呼びかけはあまり聞かない。衣食住で一番遅れているのは住だと言われているが、残念ながら的を射られたようだ。
環境変化も目まぐるしい中で、人も家も100年時代と言われる今。それを見越した住まいづくりを目指す必要があり、改めてZEHへの認識を新たにした。
自然も国産材も暖かく暮らせてこそ生きる。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族6月号より~
3月に寒の戻りがあり、嵐のような激しい雨風に天の怒りさえ感じたが、それに耐え花を咲かせた桜の健気さに心を打たれる。
山に植林されたスギや桧は40年から50年かけて育てられ、伐採したのち柱・梁などの建築資材として使われる。近年、林業従事者の不足もあってか択伐(山林の中から選別して伐採)が多く、皆伐(山林の全てを伐採する)は伐り取った後植林しない山林が目立つこともあって、悪印象を持たれることがあった。
元来、人工林の場合、育林し伐採後、裸になった山の地拵えを行い、植林し、若木に蔓草などが絡まないよう下草を刈り、間伐を繰り返しながら成木になるまで育てる、といったサイクルが当たり前に行われていた。ところが林業従事者が減少し、30年前に6万人いたという育林従事者は2万人を割り込み、伐採を専門とする従事者は2万人前後と10年以上横ばい状態が続く。
高性能の林業機械の導入で若者が比較的働きやすい環境にあるが、肉体労働を伴う育林は敬遠されがちで自ずと育林作業は遅れがちになる。全国の再造林率は30~40%だそうだ。
3月、高知県から木材産業振興課の方が来られ再造林についてお尋ねした。Woodショック以来、国産材の需要が増加傾向にあり、皆伐が増えているが再造林は40%に留まっており、70%を目標に努力中ということだった。
そんな折、コープ自然派とNPOで構成する「自然の住まい協議会」の「NPO里山の風景をつくる会」から提案があった。高知ゆすはらで進める「地域おこし協力隊」に集まった造林チーム「きりかぶ」の若者6名が再造林に意欲を燃やしていると聞く。この取り組みにまち側としてコープ自然派が関わりを持つことが出来ないかというものだった。山とまち共に50年後の森に想いを馳せ、活動が広がることを願うという。
再造林にはお金の問題も多くのしかかる。1ヘクタールに要する造林の初期費用は180万円掛かるという。再造林に70%の補助金が出たとしても50年後に山が潤えるほどの収益は望めそうにないと聞く。一口に50年というが並大抵の年月ではなく、ピクニック感覚で参加できるものでもない。
今まで成功例を見ない山とまちの協働で再造林が形になれば、第二第三の「きりかぶ」が生まれる。
ゆすはらに灯った若い熱意が昇華することを心から願いたい。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族4月号より~
昭和59年に当協会が発足し40年になる。かかわった家は800棟を超えるが、どの方も家づくりに一方ならぬ思いで取り組まれ、一様に環境意識に長け、考えれば世に先駆けてSDGsに取り組まれていたようだ。
とりわけ印象に残るのは兵庫県のMさんだ。協会イベントの常連さんであり、京都の床柱や竹林ツアー、淡路瓦や木製建具工場のバス見学、兵庫、奈良の山林視察ツアーなど数え上げれば切りがなく、参加者さん同士が連携を取り、情報交換をされていた。
設計の打合せにほぼ1年をかけ、念願の数寄屋造りの家が完成した。ご主人のこだわりは二室続きの和室と2間の本床に書院造りと広縁があることだった。
打合せは専(もっぱ)ら奥様が行い、竹小舞に土壁、室内は中塗り仕上となり、ほぼ大工と左官職人の技術に頼る家となった。延べ面積70坪(210㎡)がご夫婦の暮らしには負担かとも思われたが、温めていた夢を覆すには至らなかった。
圧巻は廊下や広縁に入川畳(いりかわタタミ)を採用し、使った畳は48畳に上った。もう一つのこだわりはキッチン、浴室、洗面所など家族が使う場所は質素に徹し、ことさら住宅設備機器はコンパクトな物を選択された。トイレも来客用と分け、自宅用は簡素なものだった。
当時、シックハウスがクローズアップされた時期でもあり新建材は殆ど使わず、土壁に混入する藁(わら)スサまでも無農薬の稲藁にこだわられた。床下の束石を固定するため接着剤を使ったことで大叱責を被った苦い経験もある。とにかく完成引渡し後、燃え尽き症候状態が続いたと語っておられた。
年明け早々娘さんから連絡があり、Mさんの訃報を知った。年末何度か電話を入れていたが、コロナの後、体調を崩し、8月に亡くなられていたそうだ。「色々考えたのですが、この家に住む事にしました。つきましては施工した民家さんにリフォームの相談をしたい」ということだった。生前Mさんが口癖のように「一生懸命建てたけど、この家に娘家族が住むかどうか分からない」と、寂しそうに話していたことを思い出した。確かに若いご家族が暮らすには広くて使いづらい。
リフォームの計画は、水回りを考え、ダイニングに続く畳の部屋を杉板にし、仕切りを外し家族がいつも集える場所に。
少しでもご家族がこの家に愛着が持てる提案になれば嬉しい。床の間には、仕事をやり終えたような満足げなMさんの遺影が飾られていた。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族2月号より~