「朴訥の論」コラムの記事一覧
家づくりに携わるものとして、最も頭を悩ませるのが予算と土地の確保です。社会情勢に合わせてじわじわと土地の価格も上昇しており、予算内で良い土地を見つけるには、今まで以上に体力と時間が必要になってきています。
今までの土地探しの方法といえば、複数の土地情報サイトを定期的にチェックして公開物件の情報を地道に収集するか、不動産屋さんを巡って、非公開物件を足で探すかが基本でした。建築士事務所民家でも、提携する不動産屋さんと地道な土地探しを基本としていましたが、なかなか良い物件をスピード感を持ってご紹介することが出来ずにいました。
地道で時間のかかる土地探しに何か方法は無いかと考え、今年から土地探しのアプリを導入することを決定しました。手元のスマホを使って気軽に土地探しができ、土地情報サイトだけではなく、不動産屋さんしか見ることが出来なかった非公開物件も掲載されているため、土地探しのお手伝いに強力なツールになると考えています。
連絡を頂き建築士事務所民家からアカウントを発行すれば無料で使えます。土地探しの方法も進化しており、判断力とスピードがますます重要になってきました。同じ土地を求めるライバルに差をつけるためにも是非活用して頂ければと思います。
3月8日に土地探しセミナーも開催されますので、是非合わせて参加頂ければと思います。
(建築士事務所民家・設計部=中津真)
~2025年木族2月号より~
コープ自然派さんと進める「自然の住まい協議会」の会議で、久しぶりに「あかね材」の名前を聞いた。
15年前に松阪木材協同組合さんから案内を受け「あかね材」を知った。「スギノアカネトラカミキリによる被害材が見た目がよくないということだけで、低価格の売りづらい市場で流通しています。大学の協力で科学的に検証し、耐久性、強度ともに問題がないことが分かりました。そこで環境に貢献するエコブランドとして関係者に案内しました」とあった。
スギノアカネトラカミキリは杉、ヒノキの枯れ枝に産卵し、孵化した幼虫が樹幹内に入り3~10センチ食い進み、再び枯れ枝に戻り成虫となって出ていく。成木になるころには既に存在しない。虫食いや飛び腐れとして各地で苦慮している問題でもある。
40~50年をかけ大事に育てた木が、僅か2、3センチの虫にその価値を奪われたとなれば泣くに泣けない。見た目だけの問題であれば柱が壁の中に隠れる大壁仕様であれば何の問題もなく使える。唯一の条件は、ビルダーとお施主さんの理解力の不可欠にある。
変色した部分を取り除き家具や玩具などに利用されていたが、平成22年に「あかね材認証機構」を設立し、同じ問題を抱える県(岐阜、愛知、兵庫、奈良、和歌山、鳥取)と連携し、情報の共有を図っているという。主に公共建築物を中心に積極的に利用を促している。
衣・食・住あらゆる分野で産地偽証や隠ぺいがまかり通る世の中でマイナスと成りかねない事を公開し、販売促進につなげるには相当の努力を要す。根気よく「あかね材」のPRを続けて欲しい。
最近スーパーでも見かけるようになったが、訳アリ商品や、商品ロスを無くそう、棚の手前の商品から撮りましょう、などの呼びかけも生活者の理解を乞う商店主の切実な叫びだろう。
先日、テレビで「リサイクルの服にタグをつける」が紹介されていた。リサイクルに出す服のエピソードや想いをタグに描いて展示するというものだ。来場者はそれを読むだけでもその服への愛着を感じ、その人となりも見え楽しいという。もはや服という概念を超え、そこにドラマを見る。
あかね材も、家も、また然り、壮大なドラマを有す。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2025年木族2月号より~
40年間「木訥の論」を書き続けているが、その中から心に止まった内容を再度紹介したい。(平成20年5月1日分から)
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それぞれの状況下で先祖から山を受け継ぐ人がいる。都会で生活する人間には山を継ぐことがどんなことか想像もつかない。
京都・京北の人は言う。「収益に繋がらん山を夫婦で毎日世話したもんや。恐らくうちの子はゴールデンウイークもなんもなかった。食べていくのに必死で春先には土筆やヨモギ、山菜が頼りやった。
親父の時代には杉1本が2万5千円にも売れた時代もあったけど、山を守るに伐る番と世話番がある。受け継いでから一つもおいしい思いはしてないけどそれが良かった。おいしいことがあったら余計なことを考える。自分の番は世話番や思てますのや。」
山は個人のもんであって個人のもんやないを主張する家人は、地域で林学を学ぶ学生さんに教材として5町の山を提供する。木の生長とともに、その若者が社会に出、生の体験として職場に生かされていると聞くことが何より嬉しいと語る。
和歌山ではウベメガシで備長炭を焼く母娘がいる。今、グルメ思考、備長炭は何かともてはやされるが不安は尽きない。現在ウバメガシの生産全国一を誇るが、それも伐り続け手入れをしない状態が続けば、やがて備長炭は過去のものになる。
近畿の山の荒廃は目に余るものがあり、間伐もされていない山が目立つ。何とかならないかと、林業関係者にはたらき掛けるが良い返事はどこからも聞こえてこないと嘆く。
植林には助成金が支給されることもあって順調に進んでいるかに見える。しかし、目を凝らせば計画的に植林されたとは考えにくいものもあるとか。林業の荒廃する山村はますます高齢化を招く。
急峻な山に登れない老夫婦が、手をたずさえ苗木を背負い、畦道に植林する行為があったとしても誰が責められるだろうか。
「山が笑う」おいう言葉は好きだが、山に嘲笑されることは免れたい。全国に苦渋の選択を迫られている世話番の方が大勢いると思うが、とにかく、山をあきらめないで。
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それから18年、各地で山の活性に尽力されているが、獣害・豪雨に人手不足と難題が山積みだ。世話番の方たちは上手に伐り番の人に繋ぐことが出来ただろうか。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族12月号より~
30年程前に神戸在住の方から宮崎市で家を建てたいという相談があり、当協会が関わり宮崎の工務店で建ててもらった。
完成後に建物チェックで何度か伺ったが、数年後その工務店が倒産し、後の管理を友人の建築士(宮崎在住)に依頼したが、20年を経過し今年廃業したという。
昨今の地震・豪雨を考えると建築家の管理の重要性を痛感する。幸いにも宮崎県産直住宅推進協議会のメンバーの紹介で、後任の工務店が見つかった・
お施主さんからすれば新築であれリフォームであれ内容のわかった建築士に見てもらうのが一番安心できる。建てた限りは最後まで関わっていたい。
OB宅を訪問すれば決まって言われることがある。「つぶれんとってや、無くなったら私らは建築難民になる」
何が何でも事業の継続を第一に掲げ、がむしゃらに努めてきたが、あながち間違ってはいなかったようだ。
茨木で着ぐるみの製作やイベントツールのレンタルを行う「ふわふわ」さんは、26年前からのOB客である。週末住宅に始まり、事務所社屋や保育施設に今回の倉庫新築と4件の施工をさせて頂いた。
ふわふわさんがその季節ごとに出されるイベント案内の会報に、写真入りで新設の倉庫が紹介され、文章が添えられていた。
「国産材を使って、大工さんによる伝統的な工法で建てられるのですが、一顧客として日本の林業や大工技術の継承に貢献できれば嬉しいですね」とあった。
事あるごとに助けてもらっていたが、こんな風に思って頂いていたのかと思えば、胸が熱くなる。
国産材の事業を立ち上げた40年前と自然環境も暮らし方も目まぐるしく変化しているが、変えてはいけないものもある。
改めてこの活動を始めた原点を振り返ってみたい。日常に振り惑わされ働いていると目先しか見えなくなる。日々忙しく働くスタッフは猶更であろう。
50年、60年と継承させるには相当のエネルギーを要する。「建築難民にせんといて」に応えられる強い意志と柔軟な思考を持ちたい。
お施主さんに教えられることが多いこの頃である。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族10月号より~
梅雨明け間近の日に高知県梼原町への山林視察ツアーに参加した(主催・自然の住まい協議会)。参加者はコープ自然派の各地域で活動する自然の住まい協議会の担当理事さん達。今回の目的は、4月号「再造林のゆくえ」で紹介した梼原の「地域おこし協力隊」の造林チーム「きりかぶ」のメンバーにお会いし、再造林の構想と植林の現場を視察する為だ。
現在のきりかぶ隊メンバー6名では活動に制約もあり、出来れば自然の住まい協議会の協力を求めたいという。実際の植林現場は勾配もきつく素人が作業するには危険を伴う。経験のない都会人に果たしてどれほどの手伝いができるか2日をかけ、みっちり話し合いが行われた。
様々な意見や提案が出され、取っ掛かりとしてコープ自然派の会員さんに協力者を募り、50年、100年を見据えた広葉樹の森づくりを目指し、ドングリの苗を育ててもらい、その苗の植林を「きりかぶ」隊が行うという案が検討されることになった。
急峻な山に這うようにして行う植林は手作業のため、林業機械を用いて行う伐採とは比較にならないほどの肉体労働を要し、地拵えから始まる植林・育林を選択する人は少なくなっている。
皆伐時に高性能機械で伐採・集材から地拵えまで行う機械があるというが小規模の予算で賄えるものではない。
「きりかぶ」隊の熱い思いに、なりふり構わず行ってきた40年間の活動が重なった。広く国産材に興味をもってもらおうと各地の森林組合や林業家と連携し、伐採体験や植林体験などで参加者を募り山に導いた。林産地も何とか活路を見出そうと協力を惜しまず快く受け入れてくれた。それぞれが工夫を凝らし山林に簡易トイレを設けたり、豚汁やぜんざいを振舞ってくれたりもした。
ただ残念なことは、こちらの力不足もあり、地域の労力に報いるほどの実績には繋がらず、林地の方々の手を煩わす結果に申し訳なさがつのった。
昭和59年から始まった国有林の分収育林(みどりのオーナー制度)を倣って、あちこちの山林で名札を付けた樹木を見かけたが、数年で記憶の隅に追いやられた状態になっていた。
50年はとてつもなく永い。やり続けるにはバカかと思われる程の粘り強さが求められる。若いエネルギーに溢れた「きりかぶ」隊の情熱に一緒に乗ってみませんか。
(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)
~2024年木族8月号より~