栃木県の那須塩原で生活されている方から、神戸以西で
中古住宅を探したい、という依頼(60歳代)があった。
福島の原発事故により基準値以下ではあるが放射能の
反応があり、子や孫の健康を考えると居てもたってもおれず、
即、行動したいということだった。
長い道のりを何度も車で往復され、不動産屋さんを通じて
十件ばかりの紹介を受け同行させていただいた。母親の
介護を考慮し、立地条件やバリアフリーなどあらゆる検討を
したが、その度に依頼者の心の揺れを感じずにはいられなかった。
果たして那須塩原の家は売ることが出来るだろうか。拝見した
写真には木造2階建ての立派な和風住宅が写っていた。家族の
思い出がいっぱい詰まったご自慢の土壁構法だった。しかし、
今の状況で放射能汚染をひた隠しに販売することなど、人として
出来るはずもない。また情報は浸透し、買い手がつくことなど望める
状態でもなかった。
大きなため息とともに出された結論は、先々のことを考えれば
どこに転宅したとしても安住の地にはなりがたく、探すことを断念
しますということだった。
9月11~12日にかけて、れいほくスケルトンの再スタートに向け、
製品、乾燥設備、加工工場などの整備も整ったということで、高知県
土佐町へ視察に出向いた。自然の住まい協議会の四国の
新メンバーとも合流し、意義のある交流会となった。山側のリーダー
シップをとっていた故・田岡秀昭氏の意思を継ぐには、単に木材を
販売するというだけでは成功しないだろう。1棟1棟に、木材を
育て伐採・加工した山側の想いが伝わり、建てて終わりでなく、
生産地と消費地が密接に繋がることを目指して欲しい。
2005年の自然の住まい協議会の設立より、そのメンバーの
一員として「街に森をつくる」をテーマに掲げてきたが、福島原発
事故後の右往左往の体たらくを見るにつけ、もう原発に頼る
ことはやめにしたいと強く思った。今の住まいづくりに省エネは
外せない課題である。可能な限り自然の力で、どこまで快適な
暮らしが出来るかに挑みたい。
長い人生をかけての集大成でもある我が家が、一瞬にして大きな
負荷としてのしかかる、そんな事態を二度と招かない為にも。