TOP > 国産材コラム > なりたくてなれない大工さん《山林》
(山林 2002.8掲載分)
国産材と在来工法木造にこだわって運動を展開している関係で、
スタッフの募集をすれば必ずといっていいほど大工職人になりたい
という若者が来る。数年前の小学生男子を対象にしたアンケートによれば
「なりたい職業の1位が大工さん」ということであったが、
なりたくてもなれない職種の1位ではないかと言いたくなる。
発足した当初、新聞社を通じて大工になりたいという青年が
事務所に来た。
ツーバイフォーにあきたらず在来工法木造の大工になりたいと考えたが、
相談できる窓口も無く新聞社を訪ねたという。
18歳の思いつきにすれば新聞社を訪ねるという発想はすごい。
熱意が記者を動かしたともいえるが、大阪府茨木市の工務店を介し、
今は立派な大工に育っている。
先日、柿渋と弁柄のセミナーを開いた折、弁柄についてとうとうと話す
大工がおり、それが彼と知りその成長に驚かされた。
思えば第二次オイルショック後、大工職を望んだ息子を
受け入れてくれる棟梁が無く、どれほど歯がゆい想いをしたことだろう。
現在も同じであるが、大工自らが生業をなすに精一杯の時代に、
他人を育てるゆとりなどある筈もなかった。
その必要性を身をもって体験するに至り、職人学校があればと
どれほど思ったことか。
そんな想いもあって、14~15年前、中学校を卒業しエネルギーのはけ口
として暴走行為を繰り返す7人の子供達を、
仮枠大工に育てようとしたことがある。
取りまとめをリーダー格のF君に任せ、基礎の根切りから配筋、仮枠、
生コン打ちと「基礎工事」の基本を指導、責任感を通して働く喜びを
見出してくれることを期待したが、ことはそんなに甘くは無かった。
少し目を離せば全員がしゃがみ込んでおり、
生コンを打つ日に全員が休むといった具合で、我慢比べの末8カ月で
断念するに至ったのである。同じ目線で物をとらえるには無理があり、
今から思えば理解することに務めたこちらの中途半端さに問題があったようだ。
結果的に失敗に終わったが、唯一、救われたのは、
数年後、F君が事務所を訪れ、「ご迷惑をかけました。感謝しています」と
言葉を添え近況報告をしてくれたことである。
全員建築関係の会社に勤め、本人はビル建築の内装下地の請負を
しているということであった。
その後、大工希望の8人の若者が協会の門をたたいた。
1人はイタリア料理のコックという職を持ちながら、協会発行の
「今、何故木の家か」を読み大工になることを決意したという。
棟梁をして天才と言わしめるほど技術習得が早くきれいな仕事をし、
7年ほどで独立、この不況時でも彼の仕事は引きをきらない。
その内の3人は今も傘下棟梁の下、大工の見習中であるが、
他の4名は別の工務店に大工見習として入ったが、
師弟関係が上手くいかず中途でリタイヤした。