(山林 2002.10掲載) 河島英五と森のコンサート
平成6年10月にスタートした森のコンサート(1,000人)も、
今年で第7回を迎える。
前理事長竹中東吉(故)の発案で、世界の共通語である音楽を通して、
環境を考えるきっかけづくりをしよう。また地域で環境問題に取り組む
グループが、1年に1度同じ目的をもつ仲間として集うことでその輪が広
がればとの想いがあった。余剰金があれば「緑と水の森林基金」に寄付
することになっている。1年がかりの準備を費やし、プロダクションの交渉
から会場設定、大阪府、近郊各市などへの後援依頼、リーフレット、
ポスター作成、宣伝、チケット販売、メディアへの発信からモニュメント
設置、会場設営を行なう。
できるだけ環境問題に関心のある出演者を選択したい、との願いから、
第1回は河島英五に決定した。河島さんには「野風僧」「酒と涙と男と女」
「時代おくれ」などのヒット曲がある。どちらかといえば地味な存在であるが、
骨太の声と人柄に根強いファンが多く、毎回コンサートを手伝ってくれるA
さんは、河島さんが無名のころからの追っかけをする70歳の元気な女性
である。
奈良県の下北山村が毎年行なう「山の音楽祭」に数回出演し、その実
行委員の後押しもあり、快諾してもらった。
ところが立案した竹中理事長(故)は、20年来の糖尿病を抱え、2年前
から車椅子生活に入り、当時は1週間に3回の透析を必要とし、5月に
電動車椅子で移動中に階段から転落し入院、寝たきりの生活が拍車
をかけ、内臓、血管ともボロボロの状態で、心筋梗塞や心不全を併発
しては入退院を繰り返していた。
ほとんど気力だけの状態であったが、国産材にかける想いは深く、
執筆活動や建築現場への検査など亡くなる3ケ月前まで行なった。
9月に足の指に壊死が見られ右大腿骨よりの切断を迫られ、
結果的に大手術に心臓が持ち堪えられず、2日後に行なわれる
森のコンサートを待たずして平成6年10月12日午後4時、天上へ
と旅立ったのである。享年55歳。コンサートを延期するわけにも
いかず、翌13日、社員と身内のみで茶毘に付し、14日のコンサ
ートを迎えた。
夕方6時からの公演に備え、2時に楽屋入りした河島さんに竹中
の訃報を伝えると同時に、500名ほどの集客しかできなかった力
不足を詫びた。一瞬絶句され「どう言えばいいのかわかりません…、
兎に角、精一杯歌いましょう。」と辛そうな表情で応えられたのを
思い出す。今考えると何故公演が終わってから話さなかったのか、
悔やまれる。気負いばかりが先に立ち、結局は相手を気遣う
ゆとりもなく冷静さに欠けていた。
幕間に河島さんと対談したいと言っていた主を失った車椅子は、
真っ赤なバラの花束を抱き舞台の袖で聞く。
公演は2時間30分をはるかに超え、エネルギーを搾り出すような
声は観客をあおり、全員総立ちの「元気出していこう」の大合唱は、
収容人員の半数しかない会場と思えない熱気と興奮で終わった。
「元気出していこう」は今も耳に残る。
ーつづくー