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国産材コラム

「伐り番」と「世話番」

朴訥の論

40年間「木訥の論」を書き続けているが、その中から心に止まった内容を再度紹介したい。(平成20年5月1日分から)

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それぞれの状況下で先祖から山を受け継ぐ人がいる。都会で生活する人間には山を継ぐことがどんなことか想像もつかない。

 

京都・京北の人は言う。「収益に繋がらん山を夫婦で毎日世話したもんや。恐らくうちの子はゴールデンウイークもなんもなかった。食べていくのに必死で春先には土筆やヨモギ、山菜が頼りやった。

親父の時代には杉1本が2万5千円にも売れた時代もあったけど、山を守るに伐る番と世話番がある。受け継いでから一つもおいしい思いはしてないけどそれが良かった。おいしいことがあったら余計なことを考える。自分の番は世話番や思てますのや。」

 

山は個人のもんであって個人のもんやないを主張する家人は、地域で林学を学ぶ学生さんに教材として5町の山を提供する。木の生長とともに、その若者が社会に出、生の体験として職場に生かされていると聞くことが何より嬉しいと語る。

 

和歌山ではウベメガシで備長炭を焼く母娘がいる。今、グルメ思考、備長炭は何かともてはやされるが不安は尽きない。現在ウバメガシの生産全国一を誇るが、それも伐り続け手入れをしない状態が続けば、やがて備長炭は過去のものになる。

 

近畿の山の荒廃は目に余るものがあり、間伐もされていない山が目立つ。何とかならないかと、林業関係者にはたらき掛けるが良い返事はどこからも聞こえてこないと嘆く。

 

植林には助成金が支給されることもあって順調に進んでいるかに見える。しかし、目を凝らせば計画的に植林されたとは考えにくいものもあるとか。林業の荒廃する山村はますます高齢化を招く。

 

急峻な山に登れない老夫婦が、手をたずさえ苗木を背負い、畦道に植林する行為があったとしても誰が責められるだろうか。

 

「山が笑う」おいう言葉は好きだが、山に嘲笑されることは免れたい。全国に苦渋の選択を迫られている世話番の方が大勢いると思うが、とにかく、山をあきらめないで。

 

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それから18年、各地で山の活性に尽力されているが、獣害・豪雨に人手不足と難題が山積みだ。世話番の方たちは上手に伐り番の人に繋ぐことが出来ただろうか。

 

(国産材住宅推進協会・代表=北山康子)

~2024年木族12月号より~

 

 

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