TOP > 国産材コラム > 産直住宅始まる・前 《山林より》
2002年4月から2年間「山林」に連載した
「見果てぬ夢に」から抜粋したものです
産直住宅を始めて18年になる。現在(2007年)は宮崎県を主に
三重県、兵庫県などから木材を仕入れているが「なぜ宮崎か」
といった質問をよく受ける。
最初から宮崎県と取引があったわけでなく、大阪の商社が
宮崎県の台形集成材を売り込みに来たことから始まった。
日向市の集成材工場や木材市場などを訪ねるうちに、産直も出来る
という確信をもったが、最初からスムーズに行ったわけではない。
宮崎産直の1棟目は1987年に千里中央駅で行われた記念イベント
(千里ニュータウン開発25周年)に、オール杉材で木造2階建ての
骨組みを展示したのが最初である。
お施主さんの了解を得、現実の上棟を行なう前に、1週間展示
させてもらった。
ヒノキ信仰の強い関西にあって、杉の構造材がどう受けるか
一抹の不安はあったが、殆どの人にその区別がつかず、
全て杉だと教えても驚きは感じられなかった。
関西では梁材に杉を使うなど考える人は少なく、殆どが米松使用であり、
結果的に不安を示したのは何のことはない建築屋と設計屋であった。
上棟式を日向流で行い、五色の吹流しが風に舞う中、
ハッピ姿の大工達の餅撒きに歓声があがった。
当時、大阪の大工工賃が1日25,000円位の時に宮崎では1万円と
低いことに着目し、アゴ足つきで宮崎の大工が泊り込み
大工工事完了までを行うといった形態をとった。
2年間で注文住宅を25棟ほどこなし、宿舎も効率を考えて
大阪、奈良、神戸と増やした。
しかし、どこで生活するにしろ寝具と全ての家電製品を要し、
何棟こなしても経費においつかず、当初の思惑は見事に外れた。
当然のことながら関西と日向では生活スタイルも市民感情も微妙に違う。
地方で許されても、神戸で隣家の敷地に入り庭先にある水道で
手を洗おうものなら犯罪者扱いである。
夜の11時にマンションの窓を開放したまま、祝宴を開いている
というクレームが入ったり、10坪程度の平屋の解体を任せば
消防署員に呼び出され、駆けつけてみると解体した残材を現場で燃やす、
という都会では死語に近い「野焼き」をしていたのである。
何度注意を促せど建築現場の軒裏に大工のモモヒキが
はためいていたりと、悪気がないだけに余計頭が痛かった。
大阪に慣れるにつけ遊ぶことも覚え、トラブル発生を懸念
したことと、経費超過で大工を地方から呼ぶことを断念した。
後日、離婚にまで発展した大工がいたと聞かされ落ち込んでしまった。
ーつづくー