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国産材コラム

生きた証として

朴訥の論

30年間セミナーを続け住まいづくりに関わる中で、心に深く残る人がいる。人それぞれ家に対する考え方も違うが、これほどまでに執念を燃やし我が家を求めた人はいなかった。

 

 

桜だよりの聞かれるころ、Tさんの訃報を受けた。車椅子生活で一人暮らしをしていたTさんの異変を知ったのは、三日に一度の訪問介護に来るヘルパーさんであった。浴室で倒れていたTさんを発見した時は既に亡くなっていたらしい。

セキュリティーの第一通報場所として1年前に新築を請け負った建築士事務所「民家」が登録されていたという。

住まいに関する想いは千差万別であり、こだわりを持つ人も多いが、17年も前からセミナーに通い続けたTさんは格別であった。

糖尿から腎臓を患い、出会ったころ既に透析を受けておられた。セミナーや見学会でお見かけするが、年を追うごとに不自由になり、杖をついて参加されるようになっていた。

 

そのTさんから平成11年の秋口に建築の相談にのって欲しいという電話があった。

先ず、街中にタイムスリップしたように建つ茅葺屋根にトタンという佇まいに驚かされた。

玄関に6畳間が3室と台所といった田の字型に、トイレは7mも離れた屋外に建つ。既に玄関口はその機能を果たせず、勝手口から座敷に上がる。

6畳いっぱいに敷かれた万年床に足の踏み場もなく、奥の天井には雨漏りを受けていたのか黒いビニール袋がぶら下がったまま埃をかぶっていた。

2年前に奥様が亡くなり、疎遠になった兄が一人いるが、何をするにも体が不自由で思うに任せないと嘆かれた。

100年前に魚屋をしていた叔父が現在の借地の上に建てたもので、鉄道マンであったTさんがその後移り住んだとうかがった。借地上の家の建て替えを借主に求めることの難しさや、新築をするには相当のエネルギーを要し体力的にも無理があると説得し、介護つきの老人ホームに入寮することを勧めて帰った。

 

ところが平成12年の正月明けに再度、Tさんより連絡があり、地主を説得し既に新築の了解も得ていると心なしか声もはずんでいる。水をさす気はなかったが、覚悟の程を知りたくて「なぜそこまでして家を建てたいの」に「金を残して死んでもしゃあない」と笑った。

なぜ地主が建て替えを認めたのか、何か裏がありそうで不安もあったが、とりあえず設計打合せがスタートした。打合せ場所はTさんの配慮で近くの公園ですることになったが、数回打合せをしたところで連絡が取れなくなった。

数日後、看護師さんを通じてTさんが銀行に行く途中で転倒し、入院していることが分かった。心配して見舞ったが、鎖骨を折りながらも「2,3カ月待って欲しい」と案外明るいTさんに安堵した。

 

ところが退院したのもつかの間、またもや転倒して大腿骨を骨折したのである。

紙おむつをし、寝たきり状態のTさんが一廻り小さくなっていた。土色の顔にTさんとの別れを思い、計画も消滅したと感じた。ただ身寄りのいないTさんをそのままにするに忍びず、1カ月に一度の見舞いを続けた。

 

半年経った頃またしてもTさんの「リハビリを始めたので」という電話に、生半可でない決意を感じた。

竣工するまで、取敢えず介護付老人ホームに移り、建築に臨むことになった。

100年間そのままという引越しの整理は、引越会社と協会スタッフの立会いのもと、山と積まれたダンボールをTさんがチェックし、4日をかけて行われた。

埋もれた家財道具の中から古いピアノが現れた時「女房の形見や」ポツリと呟いた言葉に、気丈に生きてきたTさんの心の中を垣間見たような気がした。

 

 

相談から丸3年を費やし工事契約は成立したが、25坪の平屋の設計者の提案を覆し、延べ42坪(2階建て)にエレベーター付きの邸宅になった。

計画当初、近くに銭湯があることを理由に、浴室は不要とTさんは主張した。浴槽は入れないにしても、この家を継ぐ人のためにも浴室のスペースは必要だと説得した。

打合せ途中で車椅子生活を余儀なくされ、電動に頼る形の浴槽を設置することになった。覚悟の1人住まいに出入口は車椅子対応の電動式を望まれた。

 

上棟の日、介護施設まで迎えに行った私たちを、Tさんは身支度を整えエレベーター前で待っていた。いつも以上に背筋を伸ばし、前日から食事も排泄も調整したと伺った。

短い時間であったが、大工とも会話を交わし、棟を見上げタオルで何度も鼻を拭っていたことを思い出す。

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Tさんは奥様の真新しい仏壇の前に、膝枕で眠るように満たされた表情で横たわり、寝室の片隅にピアノが慎ましやかにことの流れを受け止めていた。

契約目前に、工事途中にいかなることが生じても、建物は最後まで仕上げることを契約書に明記してほしいとお願いした。「大丈夫や、心配せんでええ」といった言葉が耳に残る。

6カ月という短い新居生活であったが、エネルギーを使い切るまでに彼を突き動かしたものが何であったのか、安らかな顔に教えられたような気がした。

Tさんがどうしても叶えたかった夢…この住まいの存在は、二人で生きてきた証しとして残したかったのではないだろうか。

 

(「木族」2015年8月号より)

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