(山林 2003.6掲載分) 心配せんでええ…
桜だよりの聞かれるころTさんの訃報を受けた。車椅子生活で一人暮らし
をしていたTさん(75才)の異変を知ったのは、三日に一度の訪問介護に来
るヘルパーさんであった。セキュリティー会社に連絡をし、浴室で倒れてい
たTさんを発見した時は既に亡くなっておられたらしい。セキュリティーの第
一通報場所として一年前に新築を請け負った建築士事務所「民家」が登録
されていたという。
住まいに関する想いは千差万別であり、こだわりを持つ人も多いが、17年
も前からセミナーに通い続けたTさんは格別であった。糖尿から腎臓を患い、
出会ったころ既に透析を受けておられた。セミナーや見学会でお見かけする
が、年々歩くのが不自由になり杖をついて参加されるようになっていた。
そのTさんから平成11年の秋口に建築の相談にのって欲しいという電話が
あり早速訪ねた。
先ず、街中にタイムスリップしたように建つ茅葺屋根にトタンという佇まい
に驚かされた。玄関に六帖間が三つと台所といった田の字型間取りに、
トイレは7mも離れた屋外に建っている。既に玄関戸はその機能を果せず、
勝手口から座敷に上がる。六畳いっぱいに敷かれた万年床に足の踏み
場もなく、二匹の油虫の死骸がころがり、奥の天井には雨漏りを受けて
いたのか黒いビニール袋がぶら下がったままで埃をかぶっている。
二年前に奥様が亡くなり、疎遠になった兄が一人居るが、何をするにも
体が不自由で思うに任せないと嘆かれた。
100年前に魚屋をしていた叔父が借地の上に建てたもので、国鉄マン
であったTさんがその後を継ぎ移り住んだと伺った。
地主から借地上の建物を建て替える了解を求めることの難しさや、
新築をするには相当のエネルギーを要し体力的にも無理があると説得
し、介護つきの老人ホームに入寮することを勧めて帰った。
ところが平成12年の正月明けに再度、Tさんより「やっぱり家を建てる」
という連絡があり地主を説得し既に新築の了解を得ていると言う。
心なしか声も弾んでいる。水を差す気はなかったが、覚悟の程を知りた
くて「なぜそこまでして家を建てたいの」に「金を残して死んでもしゃあな
い」と笑った。
なぜ地主が借地に建て替えを認めたのか、何か裏がありそうで不安
もあったが、とりあえず設計打合せがスタートした。打合せ場所はTさん
の配慮で近くの公園ですることとなったが、数回打合せをしたところで
連絡が取れなくなった。数日後、看護婦さんを通じてTさんが骨折して
入院していることが解った。心配して見舞ったが、ころんで鎖骨を折った
というTさんの「2、3カ月待って欲しい」と案外明るい表情に安堵した。
ところが退院したのもつかの間、又もや転倒し大腿骨を骨折したの
である。
紙おむつをし寝たきり状態のTさんが一回り小さくなっていた。土色の
顔にTさんとの別れを想い、計画も消滅したと感じた。ただ身寄りのない
Tさんをそのままにする気になれず、一カ月に一度の見舞いを続けること
にした。六カ月経ったころ又してもTさんの「リハビリも始めたので」という
電話に、生半可でない決意を感じた。
100年間整理をしたことがないという引越しの片付は、専門会社の四人
の女性スタッフと「民家」の立会いの下、Tさんがチェックをし四日を掛けて
行われた。
古ぼけたピアノが一台、埋もれた家財道具の中から現れた時のことで
ある。「女房の形見や」ポツリと呟いた言葉に、気丈に生きてきたTさんの
心の中を垣間見たような気がした。
相談を受けてから丸三年を費やし工事契約は成立したが、設計担当の
25坪程度の平屋の提案を覆し、延42坪(二階建て)にエレベーターを設置、
一階に水周りを配し二階は寝室と仏間のある和室になった。
一人住まいには贅沢なものとなったが、車椅子生活を一人ですることを
配慮し出入り口は電動式とした。
Tさんは奥様の真新しい仏壇前に、膝枕で眠るように満たされた表情で
横たわり、寝室の片隅にピアノが慎ましやかにことの流れを受け止めて
いた。契約目前に、工事途中に如何なることが生じても、建物は最後ま
で仕上げることを契約書に明記して欲しいとお願いした「大丈夫や心配
せんでええ」といった言葉が耳に残る。
六カ月という短い新居生活であったが、エネルギーを使い切るまでに彼
を突き動かしたものが何であったのか、おぼろげながら解ったような気が
した。