七夕を待たずして、木材業界の綺羅星が天の川を往った。
惜別の情は限りなく、悔やめども悔やめども湧き上がる。運命の強さと儚さ
を教えた人の遣り残した想いはいかばかりか。
山から発信できる数少ないスポークスマンであった。旅立つ数日前にも関東
方面への講演に出向いていかれたと聞く。
田岡秀昭氏(享年60歳)と知り合ったのは6年前、コープ自然派事業連合と
一緒になって立ち上げた「自然のすまい協議会」のメンバーとして活動して
からのこと、いつも笑顔で思慮深く、穏やかな紳士だった。
それが講演会やパネルディスカッションになると、スイッチが切り替わったよう
に雄弁になり山を森を熱く語る。「れいほくスケルトン」の開発、発展に寝食
を忘れるほどの情熱と行動力で東奔西走されていた。
それでも多忙な時間を割いて、大阪の現場見学会には必ずご夫妻で応援
に駆けつけて下さった。
毎年開催する山林ツアーでの雄姿が脳裏に焼きつく。原木市場では6mの
杉丸太の小口に参加者が耳を当て、片方の小口を人差し指で弾き、杉の
多孔性を音が鮮明に聞こえることで体験納得させた。
山林では、古い切り株を指し、この切り株は横に立つ杉の子供に栄養を与え
続け、子供の成長を見届けるように朽ち果てると説き、日頃、山林に交わら
ない都会の人に、杉やヒノキに愛情さえ感じさせるほどに身近に手繰り寄せ
た。6月4日のツアーでの出来事である。
(2011.6.4 山林ツアーでの故田岡秀昭理事長の雄姿)
また、杉が住宅建材として如何に適した素材であるかを、一般に理解され
にくいヤング率やグラフ等、数字を示し納得させた。あれほど腑に落ちる生産
者側からの説明を聞いたことが無い。とにかく木材業界にとって大きな存在
を失なったことに違いはない。
高知県人を誇りにし「福山竜馬はチューチューゆうがネズミや無いき」と苦笑
していた。さだまさしの無縁坂が好きで、酔うほどに周りを魅了した。
土佐町には多くの人を招き惹きつけた「れいほくスケルトン」のモデルハウス
が建つ。残された多くの人も町も「街に森をつくる」を合言葉に、一人の士が
灯した火を絶やすことなく繋ぎ発展させるに何の異論があろう。
ツアー参加者に田岡氏を紹介する形容詞がある「高知県の宝です」林業を
通じ「れいほく」という名を全国区にした功績は大きい。参加者を魅了して
やまないその語り部は後世まで語り継がれるであろう。
「桂月になごり惜しみて」