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国産材コラム

無下にしない気持ちが素敵

いい木、いい家、いいくらし

八百万(やおよろず)の神がいる日本。土地や場所に触れるお仕事をしていると、おのずと多くの神様仏様という見えない御施主さんの存在に遭遇します。敷地の井戸に、または土地に昔から住んでいたり、寺社仏閣のように社が建っていたり。

 

現在、お寺の庫裡の増築や別件新築の講堂の計画があり、設計中の大きな街道沿いの家の敷地には小さな祠があり。と様々な見えないお施主さんを含む打合せが進行中です。

 

旧街道沿いの家の敷地に住む龍神さんの祠は、維持の難しさから取り壊しも考慮しているところ、お施主さんもどうするべきか?と悩む中、設計としても安易に口出しはできない。

 

たまたま生駒山の山頂に住む旧知の知人のお寺が龍神さんをご本尊としており、これも何かの縁かと相談に行きました。

 

「取り壊してもええんかな?」と聞けば、「そんなの龍神さん次第やけど、勝手に追い出されたら俺でも怒るで。」と笑いながら住職、確かに。お伺いを立てて、清めて、場所を設けてと、様々手順もあり、総じて言えば、人間と全く同じ。恭(うやうや)しく丁寧に、こっちの都合で動いてもらう以上、次の転居先も手配して、納得してもらえるような手筈を整える。「じゃ、そうなった時はよろしく。」と生駒山頂の眺めの良い転居先を確保して戻ってくることができました。

 

そういえば、今まで地鎮祭を行わなかった家は無いし、井戸をなんの手立ても無く潰(つぶ)したことはありませんでした。これだけ合理化された現代でも、不思議と誰の心の中にも神様仏様を無下にしない気持ちがあるのが素敵だと思う。見えない人の心と同じように、見えない存在を大切にする気持ちを忘れないようにして行きたい。

 

(建築士事務所民家・設計部=中津真)

~2025年木族8月号より~

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