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国産材コラム

食が満たすもの

朴訥の論

台風一過、季節が急変するように秋を迎えた。スーパーに秋の食材が並び、肴がお酒を誘う。コロナで飲み会も久しいが、仕事仲間と過ごす時間は人となりを知る意味でも有意義なものだ。

 

随分前に飲み会で職人さんから聞いた話がある。母子家庭に育ち、母親が朝から晩まで必死で働いても5人の子どもを養っていくには時間とお金にゆとり等ない。

 

中学生当時、学校給食が無くクラスでお弁当を持たない生徒が2名居たそうだ。昼食時、弁当が無くても教室から出ることを禁じられ、先生と級友が食べる時間じっと席で耐えたという。友達の弁当の卵焼きを見ては幾度となく生唾を飲んだ。

 

多感な年ごろ、特に女子には恥ずかしく、その時ほど屈辱を味わったことはないと話す。育ち盛りで一番食欲旺盛な時期、せめて運動場に出ることを許されていたら、空腹を我慢するだけで済んだのにと、思い出して涙ぐんだ。数十年経た今も、その教師の顔が浮かぶという。

 

話を聞くだけで、それを毎日平気で行った教師に憤りを覚えた。子どもの気持ちを推し量れない教師に教育など出来る筈もない。唯一救われたのは、時に自分の弁当を分けてくれる友達がいたことだそうだ。今の時代に同じことをする教師はいないと思いたいが、いじめ問題を聞くにつけ、無神経と自己保身に流れる教師の存在を憂うばかりだ。

最近、障がい者のグループホームに携わる方から興味深い話を伺った。

 

ホームに入所している方が暮らしにも慣れ、精神的にも安定し休日などで4,5日自宅で過ごし戻ってこられると、体調を崩し精神的にも不安定になっていることが多いと話しておられた。ご家族は久しぶりの帰宅で、慣れない対応に追われ、手づくりの食事までは行き届かず店屋物で済ましがちだ。その施設では何よりも食事に重きを置き、食材や手づくりにこだわり提供されていると伺った。

 

食は胃袋を満たすだけでなく、どれほど精神を豊かにしてくれることだろう。会話が出来る環境の中で、満たされた食卓があればこれほど幸せなことはない。

 

千葉の友人が地域ぐるみで「こども食堂」を開いている。貧困が故に悔しい思いをする子らの空腹を満たすだけでも非行に走る子は減るだろう。続行を心から願いたい。

 

半世紀近く経った今も、活きのいい鯖に父を思う。板前だった父のバッテラは格別なものとして舌の奥に厳然と記憶されているのだから。

 

(2022年木族10月号より)

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