スープの冷めない距離に暮らす義妹には、我が家と同年代の娘2人がいます。その長女から26歳の誕生日に結婚式を挙げるので、家族5人揃って出席してほしいと招待され、指折り数えてその日を迎えました。私の結婚式当時はまだ6ケ月の赤ちゃんだったYちゃんが、もう結婚!年月の早さを痛感しました。
私が嫁いだ翌年に実家を取り壊し2世帯住宅を建て義母と暮らし始めた義妹家族。その後すぐに義弟が退職しお惣菜屋を近所に開店し、義母や主人もお店を手伝うことに。
忙しいお昼の時間だけ私が姪を預かり、一緒にお昼を食べ遊んで過ごしました。まだまだ甘えたいさかりのYちゃんは、つねったりおもちゃを取りあげたりしては息子を泣かせていました。息子の事が羨ましかったんでしょうね。今では懐かしい想い出です。
私の父は大阪出身ですが一人っ子でしたし、母は九州出身で従姉妹はみな離れていたので、子どもの頃もほとんど会えず、母の親戚に会うことイコール旅行だったため、イベントとしての記憶しかありません。
兄弟姉妹のように暮らし、一緒の小中学校に通ってきた子ども達。私がパート勤めを始めた頃にはYちゃんがみんなのお姉ちゃんになり、お世話をしてくれました。喧嘩も多かったけど、こんな近い従姉妹の存在っていくつになってもいいものですね。姪の生い立ちムービーを見てこんなに涙してたら、我が子の時はどうなるのか?恐ろしいです。
(2022年木族8月号より)