産直住宅始まる

産直住宅を始めて18年になる。現在(2007年)は宮崎県を主に
三重県、兵庫県などから木材を仕入れているが「なぜ宮崎か」といった質問をよく受ける。
最初から宮崎県と取引があったわけでなく、大阪の商社が宮崎県の台形集成材を売り込みに来たことから始まった。
日向市の集成材工場や木材市場などを訪ねるうちに、産直も出来るという確信をもったが、最初からスムーズに行ったわけではない。
宮崎産直の1棟目は1987年に千里中央駅で行われた記念イベント(千里ニュータウン開発25周年)に、オール杉材で木造2階建ての骨組みを展示したのが最初である。

お施主さんの了解を得、現実の上棟を行なう前に、1週間展示させてもらった。
ヒノキ信仰の強い関西にあって、杉の構造材がどう受けるか一抹の不安はあったが、殆どの人にその区別がつかず、
全て杉だと教えても驚きは感じられなかった。
関西では梁材に杉を使うなど考える人は少なく、殆どが米松使用であり、結果的に不安を示したのは何のことはない建築屋と設計屋であった。
上棟式を日向流で行い、五色の吹流しが風に舞う中、ハッピ姿の大工達の餅撒きに歓声があがった。
当時、大阪の大工工賃が1日25,000円位の時に宮崎では1万円と低いことに着目し、アゴ足つきで宮崎の大工が泊り込み、大工工事完了までを行うといった形態をとった。
2年間で注文住宅を25棟ほどこなし、宿舎も効率を考えて大阪、奈良、神戸と増やした。
しかし、どこで生活するにしろ寝具と全ての家電製品を要し、何棟こなしても経費においつかず、当初の思惑は見事に外れた。
当然のことながら関西と日向では生活スタイルも市民感情も微妙に違う。
地方で許されても、神戸で隣家の敷地に入り庭先にある水道で手を洗おうものなら犯罪者扱いである。
夜の11時にマンションの窓を開放したまま、祝宴を開いているというクレームが入ったり、10坪程度の平屋の解体を任せば
消防署員に呼び出され、駆けつけてみると解体した残材を現場で燃やす、という都会では死語に近い「野焼き」をしていたのである。
何度注意を促せど建築現場の軒裏に大工のモモヒキがはためいていたりと、悪気がないだけに余計頭が痛かった。
大阪に慣れるにつけ遊ぶことも覚え、トラブル発生を懸念したことと、経費超過で大工を地方から呼ぶことを断念した。
後日、離婚にまで発展した大工がいたと聞かされ落ち込んでしまった。
産直住宅には輸送コストや不良材に対しての対応などの問題もあるが、一番の問題点は都市における生活環境と価値観が、地方のそれと違うことではないだろうか。
立地条件一つをとっても地方では考えられないような狭小地に家が建ち、交通量や道路事情など大きく係わる。
(泉北で行った間伐材を使った実験住宅)
(泉北の実験住宅、アドバルーンが見える)
棟上げの日に棟が上がらないという大失態の現場もそうであった。
国産材を生かした構造を考えるとプレカットだけに頼ることは難しく、今でも工場内に熟練の大工を常駐させ手加工を併用している。
延べ30坪の木造2階建て、片流れ屋根で登り梁部分のみが大工の手加工である。上棟式とあって11名の大工が入り、
屋根仕舞から筋交い間柱まで入れる勢いでとりかかったのであるが…
どう計算を間違えたのか、14本の登り梁の寸法が足りず、桁にとどかない。間違いは慣れた頃に起きるものである。
あらゆる状況を加味しても、チェックミスであることには弁解の余地がない。
期待と信頼に溢れたお施主さんが見守る中「棟が上がりません」と告げるには相当の覚悟が要る。
迫り来る夕暮れにねぎらいに用意されたご馳走を目前にし、どのような言い訳が成り立つだろうか。単純なミスであっても双方の損失は大きい。前面道路が狭く、クレーン車も入らない現場である。
苦労して上げた14本の梁を全て手で下ろし、新しい梁が届いた段階で、再度、2名のガードマンと11人の大工を投入し組み直すのである。
この金銭的なリスクは半分をプレカット工場に負ってもらうことになった。
経費負担は請求する方も心臓にこたえるが、それをはるかに超える信頼失墜というリスクは補い様がなくその痛手は大きい。
兎にも角にも材料が揃う1週間、砂をかむ思いをしたのである。
全てに通用することであるが、その現場にいるといないでは感覚に大きなズレが生じる。施主の顔が見えないことで胃の痛むような
緊張感がなくなってはいないだろうか。
産直を永くやっていることで、産直を始めたいという木材生産者の訪問を受けることが多いが、単に木材の提供と考えるのであれば産直住宅などしないほうがよい。
産直を評して「生産者の顔が見える」というならば、生産者も建築現場をのぞき、施主がどれほどの期待をよせ、産直に何を求めているのか、
会話を交わすぐらいの責任感と積極性がほしい。
生産者の顔の見えない産直などありえない。
産直住宅とは即ち「人」だから。






