あの震災の頃・・・
新聞でそれぞれの震災を読み
あのときの状況がよみがえる。
2002年4月から
社団法人「大日本山林会」の
「山林」という月刊冊子に
見果てぬ夢にと題して2年間掲載
させていただいたものの中から・・・・・一部を紹介します。
「間伐材から始まった」
朦朧とする意識の中で、ベットを揺する激しい振動に飛び起きた。
頭の中がぐるぐる回り、何がなんだか分からないまま、
暗がりに長い揺れを耐えた。
ピチピチと床を跳ねる音に、幅1.2mの水槽が木っ端微塵に割れ
熱帯魚が跳ねる音と気づくまでに一時かかった。
恐る恐る蒲団を水浸しの床に広げ、
裸足で表に出るまでどれ程かかったのか覚えていない。
マンションの各戸から飛び出した人たちが口々に
「えらい揺れでしたなぁ」とざわめくが、
どの顔も、まさか6千人もの死者が出た震災であったとは
予想だにしていなかった。
愛犬はベットの下で小刻みに体を震わせ、
腰が抜けたのか呼んでもクンとも答えない。
平成7年1月17日未明の出来事である。
時折来る揺り戻しに、ぼんやりと昨日のことを思い出していた。
竹中の納骨式を新習志野(千葉)の霊園で執り行い、
最終の新幹線で帰阪、床に入ったのは、ほんの4時間前であった。
享年55歳、心不全で逝った竹中東吉は、
国産材住宅推進協会の創設者であり、伴侶であり、
仕事上のパートナーとして20年を伴に生きた人である。
その激しい揺れに、一瞬、
志半ばで逝った彼の無念と怒りのなせる技かと疑った。
竹中は昭和52年、欠陥住宅の追放を訴え、
大阪の谷町に3帖ほどの事務所を間借りし、
当時ほとんど泣き寝入り状態であった欠陥住宅の
被害者側に立つ建築士として「全国住宅検査協会」を開設した。
建物のチェックを第三者的立場で行うという
全国で初めての動きを、新聞各社は挙って取り上げ、
アップでしか撮りようの無い3帖1間にテレビカメラが回った。
ニュースで取り上げられたことで、
欠陥住宅で悩む相談者の数は増え続けていった
ーつづくー






