「山守り」制度を繋ぐ
奈良県下北山村を知ったのは34年前のこと、青年商工会の依頼で前理事長(故)竹中東吉氏が講演を行ったことによる。講演に心を動かされたOさん(当時、青年部のリーダー)が協会の活動に興味を持ち交流が始まった。
大阪の様々なイベントに一人で「おらが村に来んかの」の幟を担ぎ参加された。村ならではの「うり坊」や「うなぎ」のレース等、都会には珍しく楽しい企画揃いだった。
毎年行われる下北山の「さくら祭」や「山の音楽祭」へは大阪から参加し、交流を深めていった。ユーザー参加型の山林ツアーも2,3度行い、植林や伐採の体験を行ったりもした。
縁あって京都でコンサートのイベント企画を行うAさんから、下北山に合宿を行う家の建築を依頼され、吉野杉のメッカ下北山村に、宮崎県産の杉でロッジ風の家を建てた。
今思えば、単独で行動を起こしたO青年はかなりの熱血漢で異端児だったと言える。
コープ自然派奈良の理事さんから、奈良県産材を使いたいという声があり、30年ぶりに下北山に向かった。5月の大雨の土砂崩れは、仮橋が架かり3時間程度で到着した。そのものに30年前と大きな変化は感じなかったが、村役場が学校跡地に建て替えられシティ感を漂わせていた。当時、人口2千人程と記憶しているが、811人(2024年1月1日現在)と減少している。
2009年から総務省が過疎化対策として実施する「地域おこし協力隊」がある。都会から過疎地に移住し、地域活性に携わる制度だ。
下北山も利用し、3年間林業を体験した人が独立を目指す足掛かりとして役場がサポートを行う。
奈良県には古くから自伐型林業として「山守り」制度があり、山主から委託された山林の生育から出材までの管理を行い、売上の数パーセントを収入とする。その「山守り」の継承にもつながる事業として、役場が山主との提携をサポートしている。役場が一歩踏み込むことで山主も山守りも安心して作業提携が成り立つ。
四方八方山に囲まれた村で、林業をどう継承し繁栄させるか、何よりもこの地を愛し誇りに思えばこその行動に深く感銘した。
漸く30年前にOさんが、大阪まで幟を担いで来た思いが繋がった。
「今、砂防ダムを造るため杉を伐採する話が出とる、ええ木ばっかりやで、いらんかいのう」当時のOさんの声が聞こえた。





