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想い出しか持っていけないが・・・

お施主様のご自宅で改装工事計画の打合せが終わった後に、思いがけずサイフォンを使って目の前で珈琲を淹れて下さいました。

私が幼い頃、亡父がサイフォンで珈琲を淹れていた姿を懐かしく思い出しました。幼い私は珈琲が飲めなかったので味はわかりませんが、アルコールランプで水が沸きお湯が上の方に上がっていく様子が不思議だったのと、珈琲の良い香りがたち豊かな時間だったことを覚えています。

結婚した時、実家にあった亡父のサイフォンを持ってきました。フィルターにのネル布地の扱いが難しいのと、細いガラス管先の金具を引っ掛けるところも欠けて使えなくなり、しばらくはリビングに飾っていましたが、いつ手放したかもう手元にはありません。無くなっても、思い出は心に残っていますね。

淹れていただいた美味しい珈琲を飲みながら、改装に向けてのお片づけのお話をうかがいました。

お片づけ中に、同居していたお姑さまの家計簿がみつかり中をみると、孫の幼稚園に送迎されていた記録があり、おばあちゃんが大好きで送迎はおばあちゃんしかダメだった娘さんにそれを見せてあげると、娘さんがとても喜ばれたとお聞きし、心が温かくなりました。とても大切な想い出が蘇る品です。

昨年、私が実家じまいをした時、両親の思い出の品を私の家の納戸へと移しましたが、「ん?これ私が死んだら、誰が整理するの?」と思うと、このまま置いていてよいのだろうか?と戸惑いました。とはいえ今すぐには手放せません。できる限り自分で処分しますが、手放せないモノは自分のペースで定期的に見直す「私が死んだ時に処分してコーナー(ボックス)」を作ることにしました。

旅立つ時は想い出ぐらいしか持っていけないものですし、残された人へ何を残すのかよく考えてお片づけしたいものです。

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